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現役まで浦和一筋!ミスターレッズ・福田正博が明かすJリーグ開幕時のレッズの混乱とは?

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今回のゲストは
ミスターレッズとしてファンから絶大な人気を誇った、
元日本代表ストライカー福田正博さんです!



【福田正博さんのプロフィール】

福田正博さんは、1966年生まれ、神奈川県出身。
中央大学卒業後の89年にJ1浦和レッズの前身、
三菱重工業サッカー部に入団。

スピードを生かした飛び出しとドリブル突破で勝負強さを発揮し、
95年には、32得点で日本人初のJリーグ得点王に輝かれました。
2002年の現役引退まで浦和一筋。
「ミスターレッズ」という愛称でサポーターに愛されました。
日本代表でも活躍され、
93年には、ワールドカップのアジア地区最終予選のイラク戦で、
“ドーハの悲劇”も経験。

 

引退後、2008年から2010年までは、浦和でコーチを努め、
浦和退団後はサッカー解説者として活躍中です。

     


-後々に大変なことになりますが、
Jリーグ開幕の時、レッズ前評判高かった!

もうその通りですね!なぜ前評判高かったかというと、
Jリーグが開幕する前年、いわゆるカップ戦があったり、
天皇杯があったりして、当時監督だった森さんがプロになるんだから、
お客さんが喜んでくれるような
サッカーをすべきだということで3・4・3を導入したんですよ。
それがですね、経験のある選手、柱谷さんを連れてきたりとか、
望月さんを連れてきたりとか、色々経験のある選手を連れてきて、
元代表の選手を連れてきて、それが見事にハマったんですよ。
特に天皇杯で、国立競技場で準決勝、
当時読売クラブとやったんですけど、
その当時読売クラブすごく強かったんですけど、
最終的には追い込んでPK戦で破れるんですけど、
そういう試合があったので多分前評判が高かったんですよ。

−森さんがメディアに人気のある監督だった!
そういうことです!
そういうこともあって、
森さんがそういう考え方の元に92年うまくいったんですよ!
じゃあ開幕するにあたって、
もう少し選手層も厚くしなきゃいけないってなり、
アルゼンチンから選手を連れてきて、
ちょっと外国人選手枠を変えたりしたんですけど、
それがどうもうまくいかなかったんですよ。
それともう1つはうまくいくだろうと
92年に言っていたことをやったら、
やっぱり攻撃的にいくと失点が多くなるんですよ。
そこでうまくいかなくなっちゃったんですよ。
要は3・4・3なんかできる人材がいなかったにも関わらず、
92年はなんか勢いだけでやってて、
それがうまくハマっていただけだったんですよ!
それがそこのところをしっかりと突かれるてしまうと、
やっぱり失点してしまうと。チームとして崩壊してしまうと。
それでうまくいかないから、選手達が無理をしてしまう。
怪我人が出てしまう。外国人籍の選手たちもうまくいかない。
なかなかチーム事情がうまくいかないで、
選手の人数はいたんだけど、
ほとんどメンバーが揃わない状態でやって、修正する時間がない。

−歯車狂っちゃうとなおせない。
そうなんですよ。僕自身のことをいうと、
実はW杯の最終予選の前の二次予選と言うのかな昔は!
二次予選で日本ラウンド、UAEラウンドを戦って、
帰ってきて1週間後にJリーグ開幕だったんですよ!
当時、実は物凄く実は忙しくて!
チームとシーズン前に一緒にやったのは、
高知でキャンプを一度やってたんですけど、
その1週間だけチームに合流してたんです。
そして開幕前に1週間。それでチームに帰ってきたら、
やっぱりチームがバタバタしているわけ!
新しい外国人のことで!うまくいってないのよもう!
その状況の中で試合に行く!
尚且つ俺はコンディション崩して帰ってきてるから、
最高にコンディションを崩してるわけですよ。
物凄いコンディション悪い状況で帰ってきて、
ただそれでもやらなきゃいけないという思いの中でやって、
チームが思うようにいかない。怪我人もでる。
その中で修正できない。外国人籍の選手もうまくいかない。
俺もなかなか思うようなパフォーマンスができない。
期待には応えなきゃいけないという中で、混乱が生じていましたね。


そんな福田さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

-いつ頃からレッズの熱を感じるようになった?
もう最初からですね〜〜!

-あまりサッカー熱がある地域という印象は埼玉は正直ない。
そうね〜。俺も行って、
なんでそんなに熱くなるのかなと思ったら、
なんなのかな…何にもないんだよね!
何にもないの!
そこにパッときて、元々サッカーが盛んなところに来たから、
それにガッと熱が集中したのがあるんじゃないかな?
分かんないけど、そんなものも重なったものもあるんじゃないかな。

-そこは鹿島なんかとも似てるところがある?
それは多分あると思うんだよね。
その辺は街として面白いですよね。

-正直、当時は三菱重工サッカー部はだいぶ不人気だった。
それが一気に人気になって、戸惑いませんでした??
そりゃもう!
まぁJリーグ全体がそういう風になってたから、
特にそれは驚きはあったけど!にしても異常だった!
Jリーグがスタートした時は異常だった!
どうしていいか分からなかった!
新幹線でアウェーで移動するときに、
まず移動すれ新幹線のホームに人が溢れてますと。
着いた先でもホームに人が溢れてるから、
警備員がいないと歩けない状況だったから!
そんなこと有り得ないし!
それに対してどういう風に振舞っていいか分からなかった!


そんな福田さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『今日の試合は君たちの力を証明するチャンスだ。』

ミーティングの時に、言われた言葉です。
95年にドイツの監督、オジェックから言われました。
そういう言葉の使い方、今は当たり前に使われているんだけど、
当時は初めてその言葉を聞いた。
自分たちの力を証明するという文法が、
その当時は自分の中になくて。
それを証明するチャンスだと言われて、物凄く前向きになれた
背中を物凄く強く押されて、前向きにピッチに立てた。
今でもその言葉は大切にしてるし、
選手とか子供達にも必ず言うようにしてます。


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