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ラグビー元日本代表・大西将太郎が語るワールドカップへの想い

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今回のゲストは、
ラグビー界のレジェンド、
元日本代表の司令塔・大西将太郎さんです!




【大西将太郎さんのプロフィール】

大西将太郎さんは、1978年生まれ、大阪府出身。
小学3年からラグビーを始め、高校ラグビー界の名門・啓光学園に進学、
花園準優勝を経験し、高校日本代表にも選ばれました。

同志社大学時代は、主将を務め関西リーグ連覇。全国大学選手権でも活躍し、
卒業後は、国内トップリーグのワールド、ヤマハ発動機、近鉄、
豊田自動織機でプレーされました。

2007年、ワールドカップフランス大会の日本代表に選ばれ、
1次リーグのカナダ戦では、試合終了間際に劇的な同点ゴールを決めました。
日本代表としてのキャップ数(主要国際試合の出場数)は33、
トップリーグでは通算143試合に出場。

おととし、現役を引退し、母校・同志社大学でバックスコーチに就任。
11年ぶりの全国大学選手権ベスト4に貢献されました。 


-来年のワールドカップに向けて現状はどう思う?
まだまだ認知は足りていないと思います。
残り1年間、やるべきことを精一杯やるしかないかなと。
2015年の時のワールドカップのメンバーも、少し危機感を抱いていたので、
もっともっと頑張らなきゃいけないなという話はしていましたね。

−2015年のワールドカップの時から景色は変わった。
熱し易く冷め易い国民性というところは仕方がないのですが・・・。
2015年のブームの後に、
どう持っていくかビジョンがまだなかった気もしますので、
もう二度とこのような状況にしないために、
次の2019年のワールドカップをしっかりやって、
ラグビー文化が定着するようにビジョンを持ってやりたいですね〜。
ラグビーのワールドカップが成功して、
オリンピックにつなげるのが良い道筋だと思いますので、
世界からスポーツを招き入れる日本の良い予行練習になれば良いなと思います。

−2015年以降、選手の環境は変わった?
五郎丸選手など、変わった選手はいましたね〜。
町も歩けないような状況だったと思いますし。
そういった選手は、スポーツがメジャーになっていく上では必要なので。
そのあと選手が胡坐をかくことなく、より一層を求めていましたね。
もちろんメディアへの出演回数も増えましたし、
サポートして頂ける企業も増えましたね。

−3年前の結果から、勝利を期待されている。
今までとは比べものにならないプレッシャーがありますね。
このワールドカップがゴールではないので、
通過点としてさらに上に行くようにしなければならないので。
そのぶん自国開催というプレッシャーは大きいと思いますね。


−やはり初戦が鍵に?
大事ですね〜。初戦の相手はロシアに決まったのですが、
ロシアの選手は本当に体が大きく、
ラグビーにおいてはメジャーな国ではないのですが、
そのロシア相手にどの様な試合をして、どのような勝ち方をするかで、
ワールドカップの盛り上がり方も決まると思いますね。
リーチマイケルキャプテンも、初戦が大事だと言っていました。
今までの結果を見ますと、勝たなくてはならない相手です。

−28年間ラグビーを続けてきて、引退を決断。
本当に死ぬまでラグビーが出来ると思っていたんですよ笑
なので、引退して頭が真っ白になりました。
やはりプロの選手なので、チームから来年の契約はないと言われた時には、
まだ移籍先を探すことも出来ましたし、オファーもあったんですが、
これ以上家族と離れて暮らしてというのが嫌でしたね。
それよりは、自分が出たワールドカップを、
少しでも多くの人に知ってもらう活動をした方が良いのでは
という思いもありました。

最後の日はどうだった?
試合の前の晩は眠れなかったですね〜。
自分が所属しているチームは2年くらい花園での試合がなかったんですが、
その時だけトーナメント戦の試合で、
花園ラグビー場という場所が決まった時点で、
そこで引退するのが一番良いのかなと思い引退を決めました。
少しでも多くの人に見てもらおうと、早めに引退を発表して、
ポッドキャストですけど、テレビ中継もしてもらえましたし。
自分が育ててもらった花園ラグビー場で終われたので、
その時は後悔はないですね。


そんな大西さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

-花園はやはり特別な場所?
そうですね〜。
生まれた場所が花園ラグビー場から10分くらいのところでしたし、
花園があったからこそ、僕がラグビーを始めたというのがあるので、
本当にラグビーが小さい頃から身近にあったのが始まりですので。

-高校に入って花園で試合。
実際にプレーが出来たのは、
高校2年生の大阪府決勝だったんですけど、
その時は感無量というか、言葉にできない感情でしたね〜。
自分が思い描いていた花園でプレーできていると。
そこで勝って、全国大会でまた花園に立てていたので。
そうなるとまた違った目標が出来ていましたね。
全国大会で優勝したいという。
それで自分が高校3年生の時に決勝まで進んで、
ロスタイムで逆転トライをされて負けるという、
そういったストーリーがある花園でした!
その後の社会人でも、全てのターニングポイントが、
花園で起こったことでしたね。

-大学卒業後、もっと強いチームからのオファーもあったのでは?
ラグビーを始めたきっかけの憧れだった平尾誠二さんから、
平尾さんが初めて日本代表の監督をした時に、
僕も初めて日本代表に選んで頂いて、
神戸製鋼にも来ないかと何度も誘いを頂いていたのですが、

何故か僕は、憧れの人と同じ場所にいって、
その人に色々と教えてもらって超えることはできるのかと思ったりとか。
逆にそういう憧れの人がいるチームに勝ちたいと思う性格だったので。
それでワールドというチームを選びました。
神戸製鋼は7連覇をしていて、確立されていたので、
強いチームで試合に出るよりも、まだまだ発展途上のチームで優勝を目指す方が
自分の性格にあっているかなと思い、そういった決断をしました。


-ラグビーはジャイアントキリングが起きにくいスポーツ。
一人ではもちろん出来ないんで、どの様にチームとして勝つのか、
みんなで考えるからこそ面白いものだと思いますね。
僕はトップチームで4チームほど渡り歩いたんですが、
移籍した次の年に、前年度まで所属したチームとの対戦は全て勝ちました。
契約更新がないところで、やめていくところもかなりあったので、
その悔しさで前年度まで所属したチームに、次の年に絶対勝つという気持ちを
モチベーションに整えてやってきたので、全て勝ってきました。
今まで勝ったことがない相手だったのに、
自分が入ったことによって勝てたりとか。
もちろん僕一人の力ではないのですが、周りの選手たちも非常に良く、
タイミングがとても良かったので、前年度まで所属したチームに勝てたのは嬉しかったですね。



そんな大西さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『当たり前になるな。』

高校時代の恩師から言われた言葉。
今置かれている環境に常に感謝。
ラグビーはトライをとった選手が、
歓声を浴びるが、それまでのプロセスが大切。
トライをして歓声を浴びるのが当たり前ではなく、
みんながいたからこそトライがあったことに常に感謝を持ってプレーする。

次回は10月7日(日曜)夜8時からの放送です。(ニッポン放送のみ)
ゲストは引き続きラグビー元日本代表の大西将太郎さんです!
お楽しみに!


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