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田中ウルヴェ京がシンクロ競技を引退後、毎日、自分に問う言葉

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今回のゲストは、1988年のソウル五輪で
小谷実可子さんとシンクロデュエットで銅メダルに輝いた
田中ウルヴェ京 さんです!



【プロフィール】

田中ウルヴェ京さんは、1967年生まれ。東京出身。
聖心女子学院初等科時代、10歳から本格的にシンクロを始め、
15歳で日本代表チーム入り。
日本大学の体育学科に進学し、在学中の88年にソウルオリンピックに出場、
小谷実可子さんとのシンクロ・デュエットで銅メダルを獲得されました。
翌年の89年に現役を引退し、その後は、日本、アメリカ、フランスのシンクロ代表チームコーチを歴任。
91年に渡米し、大学院の修士課程を経て、2001年に「心身の健康」をテーマに起業。
現在はプロスポーツ選手から、ビジネスパーソン、
子育て中のママのコーピング(=メンタルトレーニング)を指導されるほか、テレビのコメンテーターとしてもご活躍。
ニッポン放送では「テレフォン人生相談」の回答者としてもお馴染みです。


−10歳でシンクロを始めたキッカケは?
6歳の頃に水泳を始めて。
10歳の時に、隣のコースでシンクロをやっている綺麗なお姉さんがいたんです。
私は当時、宝塚が好きだったですけど、宝塚と水泳のコンビネーションでシンクロっていいかも!って思ったのがきっかけです。

−井村コーチとの出会いは?
12歳以下のジュニア・オリンピックで日本チャンピオンになったんですけど、その時の私のソロの演技を井村先生が見てくださったみたいなんです。
その時に『なんだあの小生意気な子は!』って言っていたそうなんです。
『あんな大人っぽい曲で、あんな大人っぽいフリを、あんな堂々と表現とする12歳はなんなんだ!』と気にかけてくれていたみたいです。

結果的に15歳で代表Aチームに入って指導を受けた田中さん。
当時の指導を「めちゃめちゃ怖かったです。」と振り返った。

『怖い、厳しい、恐ろしい全種類の言葉があれば全部当てはまるぐらい。最初は何をすると良いのかがわからない怖さなんです。でも一週間いるとだんだん見えてくるんです。
井村先生はウソをつく選手に対してとても厳しい人なんです。
『本当にメダルを取りたいんです!』って言う癖に、ズルをしたり、トレーニングを怠けたり、そういう時にとっても厳しいんです。『あんた自分で言ったでしょ!』っていう方向で厳しいんです。なんでやらなかったのか。その『なんで』に理屈が通ってると全然怒らないんですけど、ごにょごにょ言い訳しているとすっごい怒られました(笑)』

『でも井村先生がオリンピックの1年前に『あんたオリンピックに出たいやろ?あんたな?オリンピックに出たいって思ったら出れへんで。』って言われたんです。
「どういうことだろう?」って考えて、悩ませてもらいました。
要は目の前の事しか見ていなくて、近道を求めていたんです。
近道を求めている事こそ、無駄な遠回りは無いと思いますし。きっと、そういう事だったと思います。』


そんな田中さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

−小谷さんとの出会いは?
シンクロで初めて出た10歳以下の全国ソロ大会です。
その大会で小谷さんは一位になった人で、私は四位だったんです。
当然、一位だと思って大会に出たんです。私が四位ってありえない!って思って一位のミカちゃんの演技を見たらすっごい事をやってて。
更衣室でミカちゃんが着替えているところに「すみません。あなたは来年もこの大会に出場しますか?」「それならよかったです。私が来年、あなたに勝ちますから。」って言ったんです。嫌なやつでしょ〜(笑)漫画の読みすぎかなぁ?もう最悪!
12歳の頃に総合優勝したんですけど、私は早生まれなので、ミカちゃんとは争わなくなっちゃったんです。

−それ以降はどんな戦いでした?
全然ダメだったですけどね(笑)でもちゃんと戦っていましたよ。
一生懸命自分に言い訳していたのは、足が短いし、体型的にもシンクロ選手として劣っているからしょうがないんだという風にしていましたね(笑)
でも、そこはシンクロの素晴らしいところで365日言われていました。
「あんたは足が短い!」「足が短いから人一倍あげなさい!」「あんたはブサイク!」って明確に言われます。
でもそれはハラスメントにならないんです。
だってそれが採点競技だもん。それを採点する競技だから。嫌だったら辞めれば良いんですよ。
でも今の子はどうなんだろうね?今なら分かんないかも。

−それは今の時代ならハラスメントって言われそうですね。
でも直せないからこそ、事実を知っておくっていうのは大切なんです。
短い人なりの訓練っていうのはあるから。
骨盤をどう使うと長く見えるかって工夫ができるんですよ。
自分の下手なところは工夫できるっていうプロセスがあるから、指導者になったときにプラスになるんです。

あと、本当の事がバレちゃうっていうのはスポーツをやってて良かったのかも
小谷実可子さんは本当に日本のスターで。
私はずっと負けていたミカちゃんに12歳の頃にようやくチャンピオンになったと思って、
次の日新聞を買いに行ったら、
「小谷負けた」っていう見出しなんです。小谷さんが寂しそうにしている写真。
それがまた可愛いんですけど!(笑)
初優勝した側の田中の写真は、卒業写真に欠席した写真。端っこにポツンと丸い写真。
その時に、怒りと寂しいっていう感情が湧いてきて。この感情は認めたくない!って思ったんです。
だからその時、私は「無」になって一生懸命、感情を閉じ込めていました。

−閉じ込めた分、小谷さんとの間に溝は入りませんでしたか?

彼女のめんどくさいところが、顔も可愛いし、足も長いし、スタイルもいいのに、
しかも性格までいいんですよ!

−困りましたね(笑)
なので、デュエットしている時もミカちゃんは気を遣ってくれるんです。
「ごめんね。〇〇のCMに出ちゃって。」
それを言われると私はブチギレるんです。性格が悪いから(笑)
「別に?そんなこと。全然怒っていませんけど〜。」ってイタイでしょう〜?(笑)
それで、夜寝る前に「またやっちゃった…。明日は謝ろう。」って思って次の日にミカちゃんに会うと、「うん!昨日怒ってたのわかってたよ!」って言われるとまたブチギレるんです(笑)そのスパイラルでしたね。

−吹っ切れたのはいつぐらいですか?
5年ぐらい前かな?
これまでに書いた本の中では「吹っ切れた」とか言っていたんですけど。
多分、自分では「吹っ切れた」っていう感覚に気付きたく無いというか。
本当に吹っ切れたというか、解決かな?
やっと解決できたのが、4・5年前で、最近、ミカちゃんからLINEをもらったんです。
「最近、頑張っていて素敵だね。」ってそれを見た時にブワーって涙が出てきたんです。
自分が40年以上何に認めてもらいたかったのかっていう事にやっと気づいたんです。
でも、スポーツ心理学を学ぼうとしたし、シンクロ以外の人生を作ろうと必死になれたのはそのお陰ですよね。


そんな田中さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『The greatest  in your life is being who you are
(あなたの人生で 最も素晴らしい事は あなた自身でいることです。)

この言葉は競技を21歳で引退して24歳になってアメリカの大学院でコーチング哲学を学んでいた頃、大学教授に言われた言葉。
当時、メダリストだったことで、格好つけてちゃんとしなきゃと思っていたという、田中さん。
「ジャスト京で良いんだって言われた時に、メダリストとか肩書きとかじゃなくて、ジャスト京ってなんだろう?って正しく悩ませてもらった言葉です。」

その答えは出たのだろうか?

「毎日、自分に問う言葉なので、毎日解決策はちがいます。指針であるけどジャスト京っていうのは無いよね。」


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