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宇津木妙子がソフトボールを始めるきっかけになった母の言葉

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今回のゲストは
女子ソフトボール日本代表監督だった
宇津木妙子 さんです!


【プロフィール】
宇津木 妙子(うつぎ・たえこ)さん。
1953年、埼玉県生まれ。
中学からソフトボールを始めて、高校卒業後、
実業団のユニチカ垂井のソフトボール部に入部。主に三塁手として活躍。
1974年には最年少で全日本選手として、世界選手権に出場し準優勝に貢献。
85年の現役引退後は日本リーグ、日立高崎の監督に就任。日本リーグで3度の優勝を経験。
97年に日本代表チームの監督に就任すると、シドニー五輪で銀メダル、アテネ五輪で銅メダルを獲得。
2005年には日本人女性としては初の、国際ソフトボール連盟に殿堂入りを果たす。
現在はビックカメラ高崎のシニアアドバイザーの傍で、東京国際大学総監督、日本ソフトボール協会副会長を務め、ソフトボールの普及活動に取り組んでいます。


−日本代表でも初の女性監督だった宇津木さん。戸惑いなどはあったのだろうか?
「自分の中学、高校、社会人でたくさんの指導者に出会ったので、
 そういう指導者の指導の仕方。プラス、あと女性は常に、”自分だけを見てて”というのが強いんです。
 でも人間だから好みってあるじゃないですか?だから好き嫌いで判断されたりするんですけど。
 でも、自分が指導者になったら好き嫌いじゃなくて平等に扱おうと。
 レギュラーとレギュラー以外の平等は中々できないので、役割分担をしっかりする。
 レギュラー以外の選手をどう扱うか。
 ”バット引きも仕事なんだぞ!”と言いながら選手を活かす方法を自分の中で考えながらチーム作りをしてました。」
「私は現役時代、そんなにすごい選手じゃなかったんです。
 日本代表にも”元気”で選ばれたんですよ(笑)だから常に叱られ役でした。
 ちょっとみんなが沈んでいる時に、私をしごいたりしたりして。
 だから毎日、居残り特訓でチームでルール勉強会をした時も常に私が指されたりして、
 失敗して笑われたりしていましたね。常に矢面に立って。
 だから、恥もかいたけど、その恥は自分のためにはすごく良かったと思っています。」

−社会人リーグでも最初、女性監督というのはやはり抵抗があったんですか?
「当時はやっぱり男性が監督というのが主流だったんですよね。
 社会人のトップリーグでやっぱり女性っていうのは抵抗があったようですね。
 高崎の監督をした時も、工場長の方以外は反対していたようですね。
 でも逆にそんな話を知らなくて、
 優勝した時に『工場長以外は受け入れられなかったんだよ』って言われて。
 だから今の私があるのは、その時の工場長のおかげですね。」


そんな宇津木さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
−すごくスパルタ指導の方という印象がありますが、実際はどうだったのでしょうか?
「スパルタというか、当たり前の練習をしたと思いますよ。
 やっぱり勝つためには当たり前じゃないですか。みなさん”厳しい、厳しい”
 と言いますけど、どこまでが厳しいのか分からないし、自分にも妥協しなかったし。
 自分が倒れるか、選手が倒れるかという戦いの中で、選手と向き合って来たので。
 みなさん、私を見ると”怖い監督”とか”鬼監督”とかよく言いますけど、
 私ぐらい優しくて愛情のある監督はいないと自分では思っているんですけど。
 でも、見られ方だと思います。
 逆に厳しいって思われた事が良かったなって思います。
 選手も『怖い監督です!』とか言いますけど、それに付いて来てくれた子はすごく芯の強い
 選手たちだったと思うし、そこはお互いが理解してやって来たんじゃないかなって思います。」

−シドニー五輪の決勝で、最後はレフトが落球してしまい、サヨナラ負けを喫した。
   当時、落球して号泣した選手に「お前のせいで負けたんだろ!」と叱責した真意は?
「黙ってるより、叱られた方が楽な時ってあるじゃないですか?
 私は、泣くのが嫌いだったから。
 ずっと”自分が悪いんだ”って泣いている姿を見た時に、言った言葉が・・・。
 あんな風に”言っちゃった”っていうのはありますね。」

−”言っちゃった?”
「今は後悔していますよ。あそこまで言うこと無かったんじゃないかなって。
 そこには自分の反省がありますね。未だにシドニーの選手達には言っていませんが、
 あの時、ピッチャーの起用をもう少し自分が早くしていたら・・・っていう悔いはありますね。だから彼女のエラーじゃなくて、私のエラーなんです。」

−4回に宇津木選手がホームランを放ち、先制点。
 そして最終回、高山投手が登板するかというところで、
 増渕投手が続投し、死球のランナーを置き、同点タイムリーを献上してしまう。
 宇津木さんが投手起用の判断を間違ってしまった瞬間は?
「やっぱり麗華のホームランですね。麗華がホームランを打った後に、
 高山にピッチャー交代しようと思った瞬間、未だに分かんないですけど、
 ガタガタ震えて私が動けなくなっちゃった。
 あんな経験は初めてでした。本当に動けないんです。
 それで、高山はブルペンで準備していたようなんです。
 デットボールの瞬間も動けない。ランナーが2塁に行っても動けない。
 そして、タイムリーを打たれて我に帰りました。でもその時には完全に遅かったです。
 もしかしたら私の遅れが彼女に移ってしまったのかもしれないですね。
 あんなプレーは彼女はしたことないですからね。」


そんな宇津木さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『あんたは恥ずかしい。』
5人兄弟の末っ子だった宇津木さんに、母がかけたこの言葉。
他の兄弟と常に比較されて「あんたは恥ずかしい」と言われていたという。
「それが悔しくて、なんとか母に褒めてもらいたかったんです。
 それで、スポーツを通して母に認めてもらおうって始めたのがソフトボールでした。
 母のその一言は、頑張る力を与えてくれたなって思いましたね。」


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