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アメリカ留学時代、ピンチを迎えた山本昌を立ち直らせた言葉とは?

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今回のゲストは
中日ドラゴンズのエースだった

山本昌 
さんです!


【山本昌 プロフィール】
1967年神奈川県茅ヶ崎市出身。
日本大学藤沢高校からドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。
本人は大学に進学する予定だったが、父親が中日ファンだったことが大きな決め手となり入団を決意した。
入団4年目にアメリカ留学し、のちに決め球となるスクリューボールを習得する。

2015年に引退を表明し、50歳まで現役を続けた。


そんな山本昌さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
50歳まで現役を続け、通算219勝を挙げることができた要因を分析してもらった。
「まず、言えるのが、私は技巧派じゃなかったということです。
 生涯の最速が43歳の時に記録した143kmだったんですが、
 ストレートの確率が49%で、当時、西武で球界を代表する速球派だった松坂大輔投手よりも、ストレートがメインの投手だったんです。」
「あと、体が大きい割に球速が遅いので怪我がしづらかったのかな。」
そんな山本さんは1997年には速球派の投手が獲得することの多いタイトル。
奪三振王を取ったこともあり、自らを「速球派」と語った。


そんな山本昌さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『まだ終わっていない』
これはアメリカ留学時代、アイク生原さんに言われてた言葉。
延長10回から登板した山本さん。
14回に無死満塁のピンチを迎えたという。
そんな山本さんにアイクさんとピッチングコーチがマウンドへ向かった。
自身の責任を痛感していた山本さんは「すみません」と謝ったところ
アイクさんが「まだ終わっていない」強い口調で叱責した。
そこで「最後まで頑張ろう」と思い直し、
その後、後続の打者を打ち取った山本さんは、なんとかピッチングを立て直すことができたという。
50歳まで現役を続けることができたのも、この時の「まだ終わっていない」
というアイクさんの声が、心に残っていたのかもしれない。


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