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第80回 4月11日(金)放送

今日のテーマは「歴史を刻んだ偉人の子孫を大調査」!!


以前は、明智光秀、勝海舟、土方歳三の子孫の方にお越しいただきました。
そんな、人気企画?!の第二弾。

誰もが授業で聞いたことのある、ニッポンの歴史を作った偉人。
その子孫は今何してる?

宗家ならではの特別なルールやしきたりはある?
家にお宝は?
子孫で得することや損することは?
などなど、ズバっと聞いちゃいました。





■16時台:徳川家康の子孫「徳川家広」さん

徳川家広さん.JPG


▼自身が徳川家の子孫だと実感したのはいつ頃?

幼稚園の時。何かしら関係があるらしい、と分かった。
小学校から高校までは学習院にて教育を受ける。
クラスメートから「お城に住んでるの?」とよく聞かれた。


▼徳川の子孫ということはお金持ってるの?

「あったら使いますよ...」。
1940年代、戦争前までは確かに裕福だった。
貴族院の議長などを歴任してきた。
当時の住まいは、千駄ヶ谷。現在の東京都体育館。
2万坪の敷地があったが、東京都へ寄付。


▼財宝は?

ない。
徳川幕府は、小判が尽きたからなくなったようなもの。
刀などは残っていたが、大正時代に焼き討ちにあって屋敷が焼けてしまい焼失。
しかし、天璋院の着物、家康公の子供の時のおもちゃなどは残る。
鑑定番組に出さない理由は、評価額が想定より下回ることが怖いから。


▼徳川家に生まれ得したことは?

翻訳家、作家として活躍されている家広さん、
得するのは、色んな方が自分と会ってくれること。


▼逆に、大変なことは?

日光東照宮での祭事に参加するのが徳川宗家の役目。
衣装を来て階段を上っていくのだが、
「私丸いですから、衣装を着せていただけるんですが、
 どんどん脱げていってしまうので、みんなが着せてくれるんです」。


▼現在、ご家族は?

実は、ベトナム人の女性と結婚されている家広さん。
ちなみに、自分の結婚相手を自分で決めたのは、徳川家では、
家康公と、家広さんの父、そして家広さんの3人、とのこと。


▼好きな将軍は?

5代将軍の綱吉公。黒田総裁のように金の価値を大きく下げたことは大きい。
生類憐みの令は評価されている。動物愛護の精神は今でも残っている。


▼今後の活動は?

自分の仕事を全うしたい。
関ヶ原の戦いに関する歴史分析などは自分にしかできないことだと思うので
いつか出版したい。





■17時台:武田信玄の子孫「武田信邦」さん

武田邦信さん.JPG


▼自身が武田家の子孫だと実感したのはいつ頃?

信玄公の子孫であることは小学校の頃に自覚した。
しかし、父親が体を壊してから、「自分が継ぐんだ」とより自覚が芽生えた。


▼そもそも武田宗家とは?

戦国の武田は自害して滅びているが、織田信長が本能寺でうたれ、甲斐から逃げるが、
武田家の優秀な家臣団は徳川家に採用されたのもあり、
徳川家の庇護を受け、江戸に暮らしてきた。


▼どこに暮らしていた?

戦争の前までは、新橋のSL広場周辺が敷地だったと聞いている。


▼武田家に生まれ得したことは?

武田さん曰く
「信玄公と同じ場所に立つこともあるんですね。そのとき、信玄公はどう思ったのだろう?
 と考えることがある。そんなとき、武田家としての誇りやプライド、生き方に自信が持てる」。


▼逆に、大変なことは?

山梨では、地元ゆえ、礼儀正しく振る舞うよう常に意識していた。
ご先祖さまに恥ずかしくないように心がけている。


▼今後の活動は?

現在、息子は山梨に住んでいて、甲府市役所で働いている。
「徳川の庇護を受けて東京にいる武田家は山梨に戻らなければ!」
と、息子も自覚してくれている。





■奇跡の2ショット

2ショット.JPG


かつて、三方ヶ原で激戦を繰り広げた徳川氏と武田氏。
それぞれの子孫が、仲良く写真に収まる。
戦国時代では有り得ないことです。



先人たちの苦労があっての、現在の日本。
平和な時代に感謝。


2014年04月11日

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