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第79回 4月4日(金)放送


今日のテーマは「崖っぷち経営者の、体当たり人生」!!

 

一部では景気回復なんて声も聞かれますが、
中小企業ではまだまだその恩恵を受けるまでには至っておらず、
しかも消費税も8%に...。

 

しかし、様々な努力で企業を引っ張る"苦労人経営者"もいるんです。
なぜそこまで頑張るのか?会社が最も大変な時期をどう乗り越えた?
その体当たり人生に迫りました!

 

 

16時台ゲスト:大日本プロレス会長 グレート小鹿さん

 

グレート小鹿さん.JPG

 

▼これまでの経歴は?

北海道から一旗あげるつもりで、埼玉川口にいる魚屋さんを営む叔父を頼って上京。
しかし、青函連絡船で運命の出会いを果たす。その人に「東京は怖いところだから」と言われ、
付いて行くと、出羽の海部屋だった。これが入門のきっかけ。


▼なぜプロレスの道へ?

相撲は3年でへこたれた。当時、プロレスといえば庶民の最大の娯楽。
プロレスなら稼げるはず!と、力道山事務所の門を叩く。
力道山とは1年ぐらいしか接していないが、
先輩達の「怖い人だぞ」という声とは裏腹に、優しく可愛がってもらった。


▼崖っぷちな状況をどう打破した?

会社は常に苦しい経営状況、今の社長にプロレスの会社を任せ、自分はちゃんこ屋を開業。
スポンサーも付いたことがない異例の団体、厳しい経営をカバーするための副業だった。選手たちが将来路頭に迷わないで済むよう、働き口を確保するため。
「ホルモン焼き屋」「自転車の販売」などもやった。

 

▼なぜ71歳の今もリングに上がり続ける?

グレート小鹿
「僕がお手本を見せないといけないと思って。
 今月の13日から10連戦の試合を乗り切って彼らに
 『会長やってくれたな』と思ってもらいたい。
 完走したあかつきには、誕生日に後楽園ホールでイベントを行う!」


▼今後の活動は?

選手たちに感謝しながら、20年目を迎えた大日本プロレスを、
25年、30年と続けていきたい。
体も鍛えて、できる限り現役を続けたい。

 

 

17時台ゲスト:お笑いプロダクション「はらひがし企画」社長の原東和昭さん

 

原東和昭さん.JPG

 

▼会社を作ったきっかけは?

所属していた芸能事務所が倒産。
そこの芸人&講師をやっていた原東さん、同じく所属していたシルバーの芸人さんから泣きつかれた。
「原東さんが田舎に帰るなら諦めがつくけど、芸人やるなら事務所たちあげてくれ」。
「原東さん、お年寄りの楽しみをとらないでくれ」。
その言葉で事務所を立ち上げることに。


▼これまでの崖っぷち人生とは?

売れてる芸人がいないと、事務所は潤わない。
経営が成り立たない状態の時に、奥さんに離婚を迫られた。
しかし、芸人をやめたくない原東さんは、離婚を選択。
すると1週間後、「お腹に赤ちゃんがいる」との連絡が。
現在1歳3ヶ月、娘に会うと余計につらなくなるとの思いから、いまだに会ったことがない。
ちなみに、養育費を、1万円振り込んだら写メ1枚、
2万円なら写メ2枚というシステムをとっている。


▼最近副業を始めたとか?

幼少時代、竹やぶでずっと遊んでいて、竹には人一倍強い思いがある。
そこで思いついたのが竹細工。コンセプトは「どんな時代が来ても真っ直ぐ生きる+遊び心」。
平成のわらしべ長者を目指し、商品をネット通販にて展開するも、
5年で2セット(2000円分しか売れてない)
これは、でも、一生続けていく。


▼奥さんに一言

原東
「心を入れ替えて、家庭をしっかり守って、仕事もがんばるから、一緒に暮らしてはいけませんか?」

 

 

 

ということで、今日はちょっとマニアックなゲストでしたが...、
ともに、企業のトップとして日々奮闘されています。

諦めない強さ。見習いたいものです。

 

 

 

 

原東さんがいつか売れますように。

2014年04月04日

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