「元ザ・タイガースのピーって、

慶応高校の漢文の先生になったって知ってる?」

という会話は80年代に私たちの間で語られた、

都市伝説のようなものでした。

 

後日、週刊誌等で報じられたり、

誰それの高校時代の担任は、

ピーだったという話が、

そこここで聞かれるようになり、

あぁ噂は本当だったのだなぁと、

思ったものでした。

 

一方でピーこと瞳みのるさんは、

芸能の世界とは一切関係を断ち、

取材も絶対に受けないということも、

伝わってきました。

 

だから私にとっては、

まったくもって過去の人となったのでした。

 

しかし数週間前の週刊誌に瞳みのるさんが、

本名の人見豊さんとして、

インタビューを受けているのを読んだ時には、

相当に驚いたものでした。

 

教員生活は定年を迎え、

新たなる活動を開始するというものでした。

 

それでもへぇそうなんだと、

若干他人事だったのですが、

スタッフから「今度、元タイガースの、

ひとみさん?が本を出すので、

ゲストにいらっしゃいますけど、

どうです?」

なんて聞かれた時には、

相当をはるかに超えた驚きを感じました。

 

なにせ40年ぶりのメディア登場ですから、

40代以下のスタッフにとって、

なんのことやらさっぱりだったのですねぇ。

 

ピーがラジオに出る事ってのは、

いかに大変なことかを説明したところで、

りゃ何を興奮してるのですかぁ?

てなもんです。

 

繰り返しますが、

何せ40年のブランクですもの、

どうか若いスタッフを責めないでやってください。

 

唯一この興奮を共有できたのは、

高田先生でありました。

 

始めてお会いした人見豊さんは、

30年の教員生活を送られた訳ですから、

最初は本当に高校の国語の先生と、

お話をしているようでありました。

 

人見さんはCMの間に、

「なんだか話が固くてすいませんねぇ。

私、本当に緊張しているんです」

とおっしゃっていました。

 

CMが終わって改めて人見さんを見ると、

時折指先や腕が緊張のために、

震えていることに気が付きました。

 

それでも私の、時に失礼とも思える質問に、

一つ一つ丁寧にお答えいただき、

インタビュアー冥利につきる時間を、

いただいたなぁと本当に感謝の気持ちで、

一杯になったのでした。

 

ザ・タイガースの活動再開には、

仲間の気持ちもありますからと、

前置きがありながらも、

人見さんご自身は、

ドラムの練習を始めたとのことでした。

 

なにか新たなページが開かれる予感が、

ひしひしと伝わってきたわけですが、

次なる展開に動き出すころに、

またお話を伺いたいものです。

 

そして次回は、

ご専門の中国文学並びに、

中国とい今まさに様々な意味でホットな国についても、

じっくりお聞きできたらと思っております。

 

今は木曜日の深夜です。

 

雪の心配をしながら、

12日に渋谷オーチャードホールで行われる、

「わが心の映画音楽コンサート」で、

演奏される映画音楽を聴きながら、

この日記を書いています。

 

当日券もまだ若干あるようですが、

ニッポン放送のHPから、

「イベント」に入っていただき、

「わが心の映画音楽コンサート」で、

詳細をご覧いただければ幸いです。

 

仕事を忘れて、

この里芋頭の男が、

タキシード着用でこの会の司会を、

堪能したいと思っております。

 

明けて11日午前2時、

まだ雪が降ってこないけれど、

どうなってるんだろぉ??

 

ニッポン放送

上柳昌彦