19日に桂米朝さんが亡くなられました。89歳でした。翌日の新聞には訃報を伝える特集記事が多く組まれましたが、毎日新聞に米朝さんのこんな言葉が掲載されました。

 

「落語とはおしゃべりによって、お客さんを"違う世界"へご案内する芸であって、メーキャップも、大道具も、小道具も、衣装も、全部、お客様の想像力にたよって、頭の中に聞き手が作り出してもらう、ドラマである」(3月20日金曜日毎日新聞朝刊より)

 

不肖上柳、私はラジオの面白さを聴かれるたびに、米朝師匠がおっしゃたような趣旨のことを常に語っていたのです。ホントです。

 

私は「ラジオなんで見えなくすいません」的CMを作る人の気がしれない訳です。絵がないから面白いじゃんかよぉってなものです。

 

ラジオを聴いてくださっている方々の頭の中には、個々それぞれのスクリーンがあって、そこにはこれまたそれぞれの映像と音楽そしてカット割りなどもあって、つまりは聞き手お一人お1人が映画監督のようなものですと言ってきたのです。

 

ね。趣旨は似てません?

 

しゃべり手と聞き手の共同作業で初めてラジオは完成するのかもしれません。しかしこれには多少の訓練も必要です。CGを駆使した映像を観なれた人には、何を眠たいことを!と言われてしまうかもしれません。

 

特にラジオは日常の生活の様々をこなしながらお聴きいただいています。携帯に電話がかかって来ることはもちろん、さてこの仕事の段取りはどうしようなどと一瞬でも考えれば、頭の中のスクリーンはあっという間に消え去ってしまうという弱い弱い存在です。

 

その弱さすら愛しく、それでも絵を思い浮かべてもらおうと様々悪戦苦闘しているうちに30数年が過ぎ去って、気が付けばお相手も場所もめまぐるしく変わりながらマイクの前に座っている私であります。

 

という事で27日金曜日の放送で「ごごばん!フライデースペシャル」はその短い歴史に幕を下ろします。ご愛聴に感謝申し上げます。