初めて岩手県大槌町を取材して 新人記者あいばゆうな

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【新人記者あいばゆうなの取材記】

2011年 3月11日 14時46分。

岩手県盛岡市の高校で模試を受けていた私は、教室で大きな横揺れを感じました。
これまで聞いたことのないほどの大きさでガタガタと音を鳴らす窓ガラス。窓際の席だった私は、すぐに机の下に潜り込みました。潜り込んだ途端、大きな突き上げるような揺れに襲われ、教室の机や椅子は、脚にローラーが付いているかのように前後にスライドして動きました。それでもつかまるものは自分の机の脚しかなく、必死に掴みながら、人生で初めて死ぬかもしれないと危機感を持ったことを覚えています。

震災からおよそ1ヶ月後。当時私が所属していた放送部の顧問をしていた先生が、大槌と釜石に赴いた際に、現状を撮影した映像を見せて下さったことがありました。
町一つが飲み込まれたという言葉がしっくりくるような想像を絶する瓦礫の山。教科書に出ていた戦後日本の白黒写真を思い出すような、色さえ失われた街並み。今起きていることとは到底信じられない、信じたくない映像がそこにはありました。
1ヶ月後の映像では、瓦礫は道の端に避けられ、車道は確保されていましたが、コンクリートには大きな爪痕がくっきりと残っており、打ち寄せた津波の恐ろしさがひしひしと伝わってきました。

大槌町役場 旧庁舎

写真・震災から7年 初めて目にした大槌町役場 旧庁舎(撮影・あいばゆうな)

私は岩手県盛岡の出身ですが、これまで震災の前も後も、沿岸を訪れたことはありませんでした。メディアを通じて得られる情報で、もちろん震災については知っていたつもりでしたが、震災から7年目を迎え、当時高校生だった私は社会人になり、そして記者になり。初めて大槌を訪れ、震災遺構を目にし、震災が人に与えた影響を取材することで、私の中の震災の記録が塗り替えられていくのを感じました。
何気ない日常がある日突然全て奪われ、それが二度と戻らない。想像をはるかに超える喪失感と混乱。空回りする時計。自分の中で点の記憶であった震災は、今に続く線の記憶に変わっていきました。それと同時に、これまで点の記憶で済ませてきたことを省みて、自分が取材をすることへの躊躇いも生まれていました。
それでも私が高校生だった当時、放送部の顧問の先生が「君たちが大人になって被災地のために何かしたいと思ったとき、その時にはやってほしい」と言ってくださった言葉が、一つの私の救いになっていました。

風の電話

写真・風の電話(撮影・あいばゆうな)

そんな中私が取材先に決めたのは、大槌町・波板にある「風の電話」という、電話線の繋がっていない電話ボックスです。釜石出身のガーデンデザイナー佐々木格さんが、遺族の喪失感を埋める手助けになればと、設置しました。英国風の庭に合うよう作られた白い木組みの電話ボックスの中には、ダイヤル式の黒電話とノートが置いてあります。亡くなった方に電話をかけるという風の電話について佐々木さんは、現実的にはありえない話。あくまでもこれは、感受性、感性と、人間の持つ想像力の世界だと話します。

佐々木格

写真・取材に応じて下さった佐々木格さん(撮影・あいばゆうな)

失われた生活感、感性を取り戻して、喪失感を解消する後押しになればと設置された風の電話には、震災から6年目の昨年一年間でも、およそ2000人が足を運びました。多くの人の心の支えになってきた風の電話の横に置かれているノートに綴られる言葉を六年間見てきた佐々木さんは、書かれる言葉の変化について、「思い出すことで心が壊れそうになるから、思い出すことで故人を愛おしむようになってきた」と昨年出版した本で書いています。

風の電話 大震災から6年、風の電話を通して見えること

写真・昨年出版された著書 『風の電話 大震災から6年、風の電話を通して見えること』(撮影・あいばゆうな)

私も最新のノートを見させていただきましたが、「見守ってほしい」という言葉が確かに多く見られました。ただ一方で、乱れた筆跡で「帰ってこい」と叫ぶように綴っているものもあり、心の復興は本当に人によって様々で、見えづらいものだと感じました。
佐々木さんは今年、喪失感のケア、グリーフケアの実例の資料となるような2冊目の本を出版する予定です。

佐々木さんの活動は風の電話だけではありません。佐々木さんは、震災後に子供が瓦礫だけを見て、本を読む場所もない環境で育ったならば、今から10年20年後に子供の感性に与える影響は後悔するようなことが起きるのではないかと危惧し、自作した石積みの建物を図書館にすることにしました。

森の図書館

写真・森の図書館(撮影・あいばゆうな)

写真に映している二階は、まるで隠れ家のようです。森の図書館は他の図書館と違い、おしゃべりするもよし、裏の庭で寝転んで読むもよし、ハンモックやツリーハウスで読むもよしと、自由に本を読むことのできる環境が整っています。寄贈された日本や海外の絵本、文庫などたくさんの本がぎっしりと並んでいました。

震災から7年目を迎え、これからの世代が目に見えない部分で震災の影響を受けることを危惧する佐々木さんの考え方や行動は、目に見えない部分への想像力を働かせる大切さを伝えています。
佐々木さんは、子供たちの将来、日本の将来に向けた大きな備えをしていると言えるのかもしれないと感じた取材でした。

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