平昌オリンピック開幕 銀メダル予想を覆せるか羽生結弦選手

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【新人記者あいばゆうなの取材記】

いよいよ平昌オリンピックが開幕しました。冬季のオリンピックは、夏季とは違い、興味が分かれるところではありますが、フィギュアスケート好きの私にとっては、待ちわびたシーズンです。
JTB広報室に伺ったところ、平昌オリンピックのチケットがついたツアーは抽選制でしたが、もちろん完売していて、ソチオリンピックの4倍の申し込みがあったということです。隣国で行われるということも人気に拍車をかけたのではないかということでした。

ただ今シーズン心配なのは、金メダル大本命とされてきた羽生結弦選手の怪我です。今年のグランプリシリーズNHK杯の公式練習中、4回転ルッツの着氷で「右足関節外側靭帯損傷」の怪我を負って以来、公式戦に姿を見せていません。団体戦には参加しないと表明していることから、オリンピックの男子シングルが復帰戦。文字通り、ぶっつけ本番となります。

スポーツデータの分析を行うアメリカのデータ専門会社は、先週のオリンピックのメダル予想を更新し、これまで金メダルとしていたフィギュアスケート男子団体と男子シングル羽生結弦選手をともに銀メダルとしました。

羽生選手、今回は右足の怪我ですが、一昨年のシーズンには左足の怪我に苦しめられました。2016年世界選手権終了後に、左足甲の靭帯損傷(左足リスフラン関節靭帯損傷)が発覚。これによって、左足のつま先(以下トウ)をついて跳ぶジャンプである、4回転トゥループを避けざるを得なくなりました。4回転ジャンプの中で最も難易度が低いとされ、使い勝手の良かったこのジャンプができない中、目を付けたのがループジャンプ。これはトウをつかずに右足で踏み切るため、左足の甲には負担をかけずに済みます。良くも悪くも怪我を受けて、4回転ループジャンプをものにした羽生選手は、トウループ、サルコウ、ループの3種類の4回転を跳ぶようになりました。他の選手もみるみる新たな4回転ジャンプを習得する中で、左足に怪我を負っても休んでいるわけにはいかないという思いがあったのでしょうか。右足を使うジャンプを集中的に練習していたことが、今回の右足の怪我と無関係ではないようにも感じてしまいます。3種類の4回転に加え、今年のグランプリシリーズ初戦のロシア杯では、新たに4回転ルッツを披露していました。

今回の怪我を受けて、シーズン初戦からジャンプ構成は変わるのでしょうか。
具体的にショートプログラムについては、4回転ループジャンプは怪我をした右足の外に体重をかけて踏み切るため、回避もあり得るかもしれません。ジャンプの基礎点は1.5点下がりますが、ロシア杯の時の冒頭4回転ループの構成から、世界最高得点を出したときの構成である、4回転サルコウに戻すことは考えられます。
フリースケーティングですが、怪我明けの羽生選手が、4回転ルッツに挑むか、またどこまで完成させられるかが肝になります。ここ最近は、2種類(サルコウ・トウループ)の4回転では勝てないということで、その他のジャンプをいかに組み込めるかという戦いになっており、真・4回転時代と呼ばれています。ただよく考えてみれば、現在羽生選手が持っている世界最高得点は、サルコウとトウループの4回転の組み合わせだけでたたき出した得点です。真・4回転時代に入っても、本人も他の選手も、この得点が未だに超えられていないということは、基礎点の高い新たな4回転ジャンプを盛り込んでも、安定的に質を整えられずに得点が伸びていない証拠でもあります。

そもそもジャンプの基礎点は実際には総合得点の一部に過ぎず、フィギュアスケートは、技術力と芸術性の両方がバランスよくあってこそだと個人的には思いますが、現行のルール、そして真・4回転時代においては、結局ジャンプを失敗した人から負けていくという極めてシンプルな戦いにならざるを得なくなっています。
特にジャンプ以外の要素、演技構成点などで安定して10点満点の9点台をそろえている羽生選手にとって、ジャンプの要素の善し悪しが、総合点としての善し悪しと直結しやすいと言えます。
団体戦にも出ないと表明したことから、試合勘を取り戻すことを優先するほど怪我は治っていないのではないかと推測できますが、たとえ怪我が治っていたとしても、進化版SEIMEIが見られるのはもう少し先になりそうです。

フィギュアスケートは競技人生が非常に短いスポーツです。現在23歳の羽生選手も平昌オリンピックで引退するのではないかと騒がれた時期もありました。表現者としても卓越した才能を持っている羽生選手がプロに活躍の場を移せば、より自由で完成されたプログラムを見ることができるのだろうと思います。ただ私は、作品の完成度に関わらず、競技者として縛られ、追い詰められた環境でこそみられる、圧倒的な才能や繊細な感情を、若い精神力で飼い慣らそうともがく姿にこそ、美しさがあるように思います。行き場のない感情が一気になだれ込んでくるような演技の、今にも壊れてしまいそうな儚げな魅力は、自信をもって出せるものを提供してお金を稼ぐ「プロ」とは全く違うところにあるものだと思うのです。私自身はメダルうんぬんより、しっかりと怪我を治し、「競技者」としての羽生選手の姿をもう少し長く見られることだけを願っています。

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