“ハクサイの生みの親”が10年の歳月をかけて完成した愛知ハクサイ

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“ハクサイの生みの親”が10年の歳月をかけて完成した愛知ハクサイ

1875年(明治8年)に中国から伝わったハクサイですが、そのハクサイの一部を、愛知県の植物栽培所が譲り受けて、栽培を始めました。ところが“結球”しない、丸くならなかったそうです。そんな中、野崎徳四郎(のざき・とくしろう)さんが、1885年(明治18年)にハクサイの栽培に取り組みました。この野崎徳四郎さんは、名古屋市中川区にあります『野崎採種場(のざきさいしゅじょう)』の創業者でもあります。

当時は冬の野菜が少なかったため、野崎さんは青菜の野菜を何とかして出荷したかったそうで、その熱意から栽培を始めましたが、なかなか上手くいかず、失敗の連続だったそうです。

それでも改良を重ねた結果、1895年(明治28年)に国産では初めての“完全な結球ハクサイ”である『野崎1号』が誕生しました。日本にハクサイが伝わってから20年、野崎さんが栽培に取り組んでから10年後のことです。

この『野崎1号』ですが、1917年(大正6年)には愛知県から正式に“新しい品種”と認められて、『愛知ハクサイ』と名付けられました。

この野崎さんの素晴らしいところは、自分で考え出したハクサイの原種を、地元の農家の方に配って、さらに栽培の仕方を本にまとめて渡して説明したそうです。こうしてハクサイの栽培が、愛知県から全国に広がっていったそうです。

さらに『野崎1号』を改良した『野崎2号』は愛知県の伝統野菜に認定されています。こうした功績から野崎徳四郎さんは“ハクサイの生みの親”と呼ばれています。

(2018/1/31放送分より)

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