わずか5分で仕上げたCM音楽作家、坂本龍一の矜持。「energy flow」がインスト曲初のオリコン1位に。 【大人のMusic Calendar】

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1999年6月28日は、坂本龍一『ウラBTTB』がオリコン週間シングルチャートで1位になった日。5月26日に発売されたこのマキシシングルは、収録曲「energy flow」が本人も出演するリゲインEB錠(第一三共ヘルスケア)のCMに使われ、相乗効果もあって初のインスト曲1位に。この快挙には、飯島直子、井川遥らが出演した飲料水のCMが火を付けたと言われる「癒やしブーム」の後押しがあったとも。消費税5%への移行、アジア通貨危機による不況の深刻化の折り、現代人の疲れた心に同曲は強くアピールした。10週連続トップ10入りを続け、累計180万枚のミリオンセラーに。その影響は音楽界全体にも飛び火し、ヒーリング系の曲を集めたオムニバス「feel」「image」などのシリーズが各社でベストセラーとなった。

現代ではピアニスト坂本龍一の代表曲として「戦場のメリークリスマス」と並ぶ作品に。しかし同曲の作曲にかけられた時間はわずか5分。本人もこのヒットに苦笑いするのみだったが、その後もCM作品集、ピアノ曲集などのアルバムで度々取り上げられ、坂本龍一の楽曲世界の道案内役を務めた。そもそも本作は企画アルバム『BTTB』(98年)の番外編の1曲。『ウラBTTB』と銘打ちながら、売り上げ的にはこちらがオモテ面になったのも皮肉な話。

坂本龍一とピアノには、そもそも少々変わった因縁関係がある。幼少期にピアノを始めたのは、編集者だった父の情操教育の一環。将来ピアニストを目指すことは一度もなく、無頼への憧れからフリー・ミュージック(フリージャズ、民族音楽を基礎とするジャンル)のプレイヤーとしてシーンに登場する。「感情を表現するのが嫌いだった」と語る坂本にとって、ピアノのような強弱表現を伴わない、旧式のスイッチ類で構成されたシンセサイザーはふさわしい楽器だった。シンセストとしてセッション活動中に細野晴臣と出会い、YMO結成時に参加。活動中に発表した『戦場のメリークリスマス』(83年)の映画音楽で、個人名を歴史に刻んだ。実は坂本の最初のピアノ・アルバムは、シンセサイザーで構成されたこのサウンドトラックを、ピアノ・ヴァージョンで再録音した『AVEC PIANO』というカセットブック(冊子とカセットテープを梱包した書籍)だった。

俳優として映画にも出演し、デヴィッド・ボウイとの共演も果たした坂本は、ワイドショーでも取り上げられ一躍スターに。そんなブームの喧噪から離れ、素朴な録音装置だけで譜面なしで録音されたのが同作品。戦メリ関連プロジェクトをこれで終わりにしたいという意味を込めて、後にLP化された際には『コーダ』(終章)と命名された。現在の坂本のピアノ演奏を知る人には、当時の音は意外に映るかもしれない。硬質な打鍵、ストイックな演奏はまるでサントラの素描のよう。だが、初のピアノ・アルバムはファンに大歓待を持って迎えられ、後に譜面集もリリース。初のソロツアー『メディア・バーン・ライヴ』では、中盤のMIDIグラウンド・ピアノのパートがハイライトとなった。

アルバムのセールス不発が続き、迷走期と言われた90年代のフォーライフ最後期。それまで実験的にライヴのみで活動していた、ピアノ、チェロ、ヴァイオリンによるトリオ編成で、過去の代表曲をリメイクする企画が打診される。こうして誕生したベスト盤『1996』(96年)が好セールスを結び、『/04』『/05』などのシリーズとして継続されるほど反響を呼ぶ。ここで聴ける坂本のピアノはエモーショナルなスタイルに変貌しており、本格的にピアノ表現に向かうことを決意させる、彼のターニングポイント的作品になった。元々坂本に備わっていた、イタリア、ブラジルを愛するラテンスピリットを見事に開花させたのは、映画音楽で何度もダメ出しし「もっとエモーショナルに」と挑発した、ベルナルド・ベルトルッチ監督との仕事を通してだったという。

ワーナー移籍第1弾が初のピアノ・アルバムになったのは、『1996』のヒットを踏まえたもの。『BTTB』は“Back To The Basic”の略で、坂本の音楽的ルーツである、ブラームス、ドビュッシー、サティ、リストなどのフランス近代音楽にオマージュを捧げた、初の描き下ろしピアノ曲集となった。ラヴェル風が「ソナチネ」、ブラームス風が「インテルメッツォ」と曲題にもパスティーシュ的な趣向があり、若き日に小泉文夫に師事した坂本の音楽学者的視座が伺える。『ウラBTTB』はこの制作プロジェクトの余暇時間を使い、CM、映画音楽などへの提供曲をピアノで再録音したアンコール企画。当初5000枚の初回限定盤だったものが、あれよあれよという間にヒットしたというのが顛末だった。

ヒットは無論偶然ではない。オーダーにふさわしい作品で応えたのは、CM音楽作家としてキャリアを積んできた坂本の矜持があったから。三木鶏郎の冗談工房から独立し、資生堂のCM曲などを当てた音楽制作会社ON・アソシエイツで、坂本は学生時代からアルバイトでCM音楽を数々手掛けてきた。同社はレコードにもなった大滝詠一の三ツ矢サイダーのCM曲でも有名だろう。坂本は西武グループ、サントリー、資生堂のCM曲を担当。習作時代含む数々のCM仕事は、後年『CM/TV』(2002年)としてアルバムにまとめられ、「energy flow」の短いCMヴァージョンもそこに収録された。実は、ブレイクする最初のきっかけとなったYMOの富士フイルムCMの出演も、坂本個人がCM仕事を請け負っていた電通のディレクターから打診を受けたものだったとか。

かつてYMOのスタッフだった音楽評論家のピーター・バラカンは、『左うでの夢』録音中の作業風景を捉えて、「できた瞬間よかったものが考えすぎてダメになる」と評した。瞬発力にこそ坂本の持ち味があり、限られた時間や条件下で作られたCM音楽はいずれも、独特の煌めきに満ちている。シリアスな『BTTB』の録音を終え、一種のコーヒーブレイクとして作られた軽さが、「energy flow」が一般層にもアピールした最大の要因だろう。まるでキース・ジャレット風ニューエイジ。調性感の希薄な『BTTB』プロジェクトの中にあってもっともセンチメンタルな曲調で、大衆はそこに心を掴まれた。こうした恥ずかしさぎりぎりの表現は、CM音楽の制約あってできたもの。ファインアートよりポップアートを信奉する、坂本の作家的指向性はむしろこうした企画アルバムで発揮される。

CMはアテンション・プリーズ(「耳をお貸し下さい」「こちらに注意をむけてください」)の音楽。通りすがりの足を留め、曲に引き込むメロディーの力が求められる。180万枚というセールス記録は、坂本のCM音楽作家としての優れた仕事の証に。「energy flow」も出合った瞬間に心を射貫かれるキュートな小品。コンサート会場でかしこまって聴くときよりも、街角でふと耳にしたとき、心にすっと入ってくるタイプの音楽だと思う。

【執筆者】田中雄二

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