国民的スター・植木等のスーダラ伝説

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昭和のお茶の間を席巻したコメディアン、植木等のプロフィールは、長らく1927年2月25日生まれとされていたが、後年になって実際の誕生日に変更された。それは1926年12月25日。この日は大正天皇が崩御した日で、つまりは大正15年から昭和元年へと移行した激動の一日だったのである。その理由は戸籍上の誕生日が1927年2月25日になっていたからだそうで、諸事情により役所への届け出が遅れたことで2ヶ月違いとなってしまったらしい。出生からして稀なエピソードを持つ植木はいくつかのバンドを経た後にハナ肇とクレージー・キャッツのメンバーとなり、人気を爆発させた。映画にテレビにステージに、八面六臂の大活躍で高度経済成長時代の顔ともいえる国民的スターは、2007年に80歳で没して久しい今も我々の記憶に鮮明である。今日12月25日は植木等の誕生日。存命であれば91歳になる。

名古屋で出生の後、3歳の頃に父・徹誠が真宗大谷派常念寺の住職となったのを機に三重県へ移り住んだ植木は、1939年に僧侶となるために修行をするべく上京。旧制中学卒業後、東洋大学へ入学した。やがて音楽への興味にめざめ、在学中にバンドボーイのアルバイトを始めて将来の指針を固めてゆく。1946年にはテイチクレコードの新人歌手コンテストに合格するも、巷でダンス・ミュージックが流行し始めたことから楽器を身につけるべく、刀根勝美とブルームード・セクションのバンドボーイを務めながらギターを練習した。大学卒業後にはギタリストとして萩原哲晶とデューク・オクテットの一員となる。その時のドラマーが野々山定夫、後のハナ肇であった。1952年には自身のトリオ、植木等とニュー・サウンズを結成。その後1954年から参加したフランキー堺とシティ・スリッカーズでは、ギターだけでなくヴォーカルも披露し、その時代に発売されたレコードの一曲「炭坑節」は初めて植木の歌声が収録された音盤となる。シティ・スリッカーズは本家のスパイク・ジョーンズを倣って冗談音楽を実践したバンドで、植木のほか、桜井センリと谷啓も在籍していた。

1955年にキューバン・キャッツを結成したハナ肇が目論んだのは、コメディ路線のバンド。予てから目を付けていた植木等の参加は不可欠だった。翌年、シティ・スリッカーズからようやく移籍してきた植木等を迎え、バンド名もハナ肇とクレージー・キャッツとなる。それまでのバンドにはなかった笑いを交えた斬新なステージは進駐軍キャンプやジャズ喫茶のステージで培われ、1959年にフジテレビの開局と同時に始まったコント番組『おとなの漫画』、そして1961年に日本テレビでスタートした『シャボン玉ホリデー』で開花する。中でも際立った存在感の植木等の人気は、その年の秋に出されたデビュー盤「スーダラ節」でいよいよ爆発した。曲のヒットと共に、「お呼びでない?…こりゃまた失礼いたしました!」に代表される『シャボン玉ホリデー』発のギャグも流行。翌年、東宝で製作された主演映画『ニッポン無責任時代』も古沢憲吾監督の突撃演出が功を奏して大ヒットする。以降も“無責任男”のキャラクターで多くの作品に主演しながら、並行して青島幸男×萩原哲晶コンビの作による「ハイそれまでョ」「だまって俺についてこい」などのレコードもヒットさせて押しも押されぬ大スターとなったのである。

国民的スター・植木等のスーダラ伝説
国民的スター・植木等のスーダラ伝説
国民的スター・植木等のスーダラ伝説
国民的スター・植木等のスーダラ伝説

1970年代になってクレージー・キャッツのメンバーも個々の活躍へと移行してゆく中で、植木は舞台『王将』で坂田三吉を演じて話題となり、性格俳優としての評価を高めた。本来生真面目できちんとした性格であった植木は無責任男を演じることが苦痛だった時期もあったらしく、非コメディ作品での俳優仕事はようやく本領を発揮出来る場であったのかもしれない。1986年には『新・喜びも悲しみも幾歳月』で、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞や毎日コンクール助演男優賞など数々の賞を手にしている。しかし植木等のすごいところはそんな中でも、石井聰亙監督のコメディ映画『逆噴射家族』で過激な役を演じたりして、安寧に留まらかったこと。1990年には自身の企画によるヒットソングのメドレー『スーダラ伝説』をヒットさせ、NHK紅白歌合戦に23年ぶりの出場を果たした。しかも歌手別最高視聴率56.6%を記録して健在ぶりを示したのである。全国12か所でコンサートツアーを開催し、トークバラエティ番組『植木等デラックス』が始まるなど、平成の植木等ブームとなったのだった。

2000年代となり、老境に達した植木は病魔と闘いながらも芸能活動を続け、最後に印象深い仕事を遺した。それはクレージー・キャッツ+Yuming(松任谷由実)による『Still Crazy For You』である。植木も出席した渡辺プロダクション創立50周年パーティーで発表された記念の歌が谷啓のヴォーカルで録音され、体力的に芳しくなかった植木はセリフだけではあるが、しっかりと録音に参加した。そのCDが発売されてから約1年後の2007年3月27日、80歳で世を去ることとなったが、これからも植木等の名が忘れられることは当分ないはずだ。つい先ごろもかつて付き人を務めた小松政夫の著書を原作とした連続ドラマ『植木等とのぼせもん』が放映されたばかり。植木の役を山本耕史が実に巧みに演じて好評を得た。これからも映画や歌など、その偉業が讃えられる機会は少なくないだろう。植木等は我々日本人がずっと愛してやまない、永遠のスターなのだ。

「スーダラ節」「ハイそれまでョ」「だまって俺についてこい」撮影協力:鈴木啓之

【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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