夏になると聴きたくなる?!“国産エレキ歌謡” ここがポイント!

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歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)

最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。

夏といえば「エレキ」。前回はザ・ベンチャーズが書き下ろした「ベンチャーズ歌謡」について触れましたが、対して日本人ではどんな作家たちがいち早くエレキサウンドを歌謡曲に採り入れたのかを見ていきましょう。今回は“国産エレキ歌謡編”です。

涙の太陽-

1965年、ザ・ベンチャーズが4人編成で初来日した年に、さっそうとデビューしたのが、エミー・ジャクソンです。父方の祖父がイギリス人のクォーターで、自身も英国生まれ。そのデビュー曲として書き下ろされたのが『涙の太陽』です。73年に安西マリアがカバーし大ヒットしたので、そちらでご存じの方も多いでしょうが、オリジナルは彼女で、全編英語詞でした。

クレジットには「作詞:R.H.Rivers」とありますが、その正体は若き日の湯川れい子さん。「湯川=Hot Rivers」と直訳した変名で、エミーを発掘してきたのも湯川さんでした。この曲はコロムビアの洋楽レーベルから発売されましたが、65年当時のレコード会社にはまだ「専属作家制度」が根強く残っており(作曲の中島安敏は、当時コロムビア専属)、フリーの若い作詞家が大手を振って活動できるような状況ではなかったのです。外国人名で、しかもわざわざ英語で書いたのはそんな事情もありました。
エミーも英国生まれのネイティヴなので、この曲を洋楽だと思っている人も多いですが、日本が生んだ「純国産エレキ歌謡」の先駆であり、金字塔です。

翌66年、ビートルズが来日。その影響もありGSブームが到来しますが、当時レコード会社はこぞって、女性歌手にGS調のエレキ歌謡を歌わせました(→ポイント参照)。ハヤリを追うと同時に、バックを自社所属のGSに務めさせれば、セットで歌番組に出られる…そんな思惑もあったのでしょう。

恋はハートで

ぜひ記憶に止めてほしいのは、67年、新興レーベルのクラウンレコードからデビューしたハーフ歌手・泉アキ『恋はハートで』です。ザ・レインジャーズをバックに従え、グラマーな彼女が膝上20センチの超ミニスカートで歌ったインパクト抜群のこの曲、実は作詞がなかにし礼・作曲は三木たかしの黄金コンビ。いかに売り出しに力が入っていたかが分かります。
今は熟女タレントとして活動中の泉アキですが、当時「最先端を行くイケイケアイドル」だったことは押さえておきたいポイントです。

いとしのマックス-

一方、自作自演でエレキ歌謡を歌うシンガーソングライターも登場します。「エレキの若大将」・加山雄三と並び、傑作エレキ歌謡を書いて自ら歌い、ヒットさせたのが荒木一郎です。ジャケットではアコギを抱えていますが、67年発表の代表作『いとしのマックス<マックス・ア・ゴーゴー>』は、「ドゥンドゥドゥドゥドゥドゥ ドゥンドゥドゥドゥドゥドゥ ドゥンドゥドゥドゥドゥドゥドゥ・・・GO!」というコールが最高な大傑作。若大将の明るいエレキ歌謡と異なり、どこか陰のある黒っぽいサウンドと、独特のボーカルで一世を風靡しました。
あの忌野清志郎も、ラフィータフィー時代に、荒木作品『今夜は踊ろう』を本家を招いてカバーしたこともありましたが、桑田佳祐ほか、後進にも大きな影響を与えました。もっと評価されてしかるべきアーティストです。

このように、様々な形でエレキサウンドは歌謡曲に採り入れられ、浸透していきました。70年代以降のエレキ歌謡についてはまた稿を改めたいと思いますが、夏になると「テケテケ…」が聴きたくなるのは、この人たちの仕業なのです。

“エレキ歌謡”ここがポイント!
<女性歌手が歌ったGS調エレキ歌謡>

・いしだあゆみ『太陽は泣いている』(68年、コロムビア)
…筒美京平作曲。ピチカート・ファイヴ『モナムール東京』の元ネタ

・黛ジュン『不思議な太陽』(69年、東芝)
…サイケ&ガレージ感満点の傑作エレキ歌謡。なかにし・三木コンビ作品
・中村晃子『虹色の湖』(67年、キング)
…映画『進め!ジャガーズ敵前上陸』でザ・ジャガーズをバックに熱唱

【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。

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