あけの語りびと

戦後、本当にあった米軍曹長と村人たちとの心の交流

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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

ペルトン碑

いったいこの記念碑にはどんな思いと物語が込められているのでしょう

トランプ大統領の来日で、注目された横田基地……。基地というと、近づきがたいイメージがありますが、横田基地に、ちょっと心あたたまる話が残っています。

いまから61年前の昭和31年、アメリカから、オースチン・ペルトンという曹長が横田基地に着任しました。趣味は渓流釣り。週末になると車に乗って出かけたのが檜原村でした。檜原村の神戸(かのと)地区……山に囲まれた渓流の美しさに、ペルトンさんは魅せられてしまいます。そのうち山小屋を借り、「ブラック・キャット・キャビン(黒猫亭)」と名付けて、週末を夫婦で過ごすようになります。

檜原村

檜原村の神戸地区の豊かな自然 紅葉と澄んだ渓流のせせらぎは今も変わりません

突然現れたアメリカ人夫婦に戸惑うのは住民たちでしたが、ペルトンさんは満面の笑みで『遊びに来い』と手招きし、山仕事を終えた村人たちをウィスキーやコーラでもてなしました。そんな話を聞いて好奇心旺盛な中学二年生、坂本義次(よしじ)少年が、担任だった英語の教師に、こう言います。

「先生は、英語を教えているけど、英会話は出来るんですか?」
「もちろん、出来るさ」
「うちの近くにアメリカ人が来るから、英語で話をしてみてください」
「ああ、いいとも」

神戸国際マス釣場

山々の中に神戸国際マス釣場が佇んでいます

週末、先生を連れて黒猫亭を訪ねました。この村に来て、初めて英語で話しかけられたペルトンさん。ウェルカム! ウェルカム! と2人を黒猫亭に招き入れます。ここで出されたのが、瓶のコカコーラ!生まれて初めてのコーラを、ごくごく飲んだ坂本少年……「コーラ、うまかったぜ! あんなにうまい飲み物は初めてだ!」教室で自慢すると「いいな、俺も飲んでみたいな」となりました。

この話を坂本少年がペルトンさんにすると、スクールバスを用意し、檜原中学の生徒を横田基地に招待してくれたんです。案内されたのが『将校クラブ』。「テーブルの上にはフォークとナイフ。出てきたのはステーキ!初めてのステーキよりも、添えてあった人参が生(なま)で、アメリカ人は人参を生で食べるんだ!」と坂本少年は驚きます。

こうして、ペルトンさんと檜原中学校との交流が生まれます。ある日、中学校に訪れたペルトンさん。野球部の粗末な道具を見て、すぐに、ボール、グローブ、バット、さらに「HINOHARA」と胸にロゴの入ったユニフォームまで、すべて自費で揃えてくれました。そのあと、横田基地の芝生の野球場で親善試合を開催!ペルトンさんの声援に応えて、檜原中学・野球部が勝利を収めました。

滝

大自然の滝の姿にきっとペルトンさんも胸を打ったでしょう

クリスマスには恰幅のいいペルトンさんがサンタに扮し、大きな袋にお菓子やおもちゃを入れて、子供達にプレゼント!春のイースター(復活祭)では、ペルトン夫妻がホットドックを作ってみんなに振る舞いました。茹でたソーセージをパンにはさんだ初めてのホットドッグに、子供達は目を丸くして「美味しい、美味しい!」と頬張りました。

ペルトンさんはなにもかも自費で用意してくれました。なぜ村の子供達を我が子のように愛してくれるのか……それには理由がありました。ペルトンさんは最愛の息子を朝鮮戦争で亡くしていたんです。戦争で身内を亡くした悲しみは、アメリカ人も日本人も同じです。昭和20年2月生まれの坂本少年も、その年の5月に戦争で父親を亡くし、その温もりを知らずに育ちました。

ペルトンさんと子供達との楽しい交流は4年間、続きました。昭和35年、ペルトン夫妻はアメリカへ帰国することになります。それを知った神戸(かのと)地区の住民は、百円、二百円と出し合って「記念碑」を建てることにしました。『ペルトン碑』と名付けた石碑には、英文と日本文で感謝の言葉が綴られています。

ペルトン碑

ペルトン碑に刻まれた英語と日本語のメッセージ 村人の思いが伝わってきます

昭和35年5月12日、夫妻が帰国する一カ月前、『ペルトン碑』の除幕式が神戸(かのと)自治会館前で開かれました。取材に来た横田基地の新聞に当時の様子がこう書かれています。

「やがて式が終わって、だんだん遠くなってゆく大好きなペルトンさんの自動車にむかって山の子供達の叫ぶサヨナラの声が附近の谷にいつまでもコダマしていたのが印象的だった」

時は経ち、坂本少年は72歳に。現在檜原村の村長になっています。「檜原村の素晴らしい自然を気づかせてくれたのはペルトンさんです。ペルトンさんが教えてくれた檜原村の魅力をこれからも伝えていくのが、私の大きな使命だと思っています」

ペルトン 村長

坂本少年は現在、村長としてペルトンさんの愛した檜原村を守っています

帰国したペルトン夫妻はカリフォルニアの空軍基地に転属となり、退役後、アーカンソー州に暮らしたところまでは分かっていますが、いつ亡くなったかは不明です。

平成15年、村長になった坂本さん。その翌年、横田基地から一通の手紙が届きます。横田基地の曹長と村人との素晴らしい交流があったことを知った基地司令官のシスラー大佐が「ペルトン碑に、花を捧げたい」いう内容でした。

平成16年、5月17日、村長になって2年目、横田基地からトップの司令官がやって来るという大きなイベントが開かれました。坂本村長はこう振り返ります。

「天国からもペルトン夫妻が檜原村のことを、見守ってくれているんだな、と思いましたね」

横田基地 手紙

こちらが横田基地から一通の手紙 横田基地司令官のシスラー大佐のサインがあります

檜原村(ひのはらむら)

檜原村は東京都の西に位置し、島を除く東京都唯一の「村」です。村の9割が森に囲まれ、都心からわずか2時間足らずで大自然を満喫できます。
日本の滝百選に選ばれた「払沢(ほっさわ)の滝」、都指定の天然記念物で紅葉のスポット「神戸(かのと)岩」、日帰り温泉「数馬の湯」、散策コースとして「都民の森」があります。

檜原村

檜原村には大自然と坂本村長、そしてペルトンさんが残した素敵な思い出があります

上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』
2017年11月22日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より

朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ

番組情報

上柳昌彦 あさぼらけ

月曜 5:00-6:00 火-金曜 4:30-6:00

番組HP

眠い朝、辛い朝、元気な朝、、、、それぞれの気持ちをもって朝を迎える皆さん一人一人に その日一日を10%前向きになってもらえるように心がけているトークラジオ

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