水前寺清子さんの代表曲であり、歌手人生を変えた一曲でもある 『三百六十五歩のマーチ』。 【10時のグッとストーリー】

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今日ご紹介するのは、水前寺清子さんの代表曲であり、歌手人生を変えた一曲でもある『三百六十五歩のマーチ』

熊本出身の水前寺さんは、サッカーJ2・ロアッソ熊本の試合前にユニフォーム姿で歌い、地震で被害を受けたチームを激励しましたが、この曲の誕生にまつわるエピソードを、水前寺さんが自らスタッフに語ってくれました。

三百六十五歩のマーチ

水前寺清子さんの代名詞でもある「三百六十五歩のマーチ」。
ところが、最初にこの曲をもらったとき、水前寺さんはこんな反応をしたそうです。

「私、こんな歌は絶対イヤです! 歌いたくありません!」

今から52年前、1964年に『涙を抱いた渡り鳥』でデビューした水前寺清子さん。

以来、演歌ひとすじ。着流し姿でさっそうと、コブシを回して歌う水前寺さんは、1966年に『いっぽんどっこの唄』を大ヒットさせ、若くしてトップスターになりました。
人気絶頂の1968年、水前寺さんに、恩師でもある作詞家の星野哲郎さんが「チータ、次の新曲はこれだ!」と手渡したのが、『三百六十五歩のマーチ』でした。

「私、先生に聞きましたよ。『どこの運動会の歌ですか?』って」

ずっと演歌ばかり歌ってきた水前寺さん。
「なんで私が、行進曲なんか歌わなきゃいけないの?」
「もしかして、私を潰そうとしてるのかも…」
という疑心暗鬼まで起こりました。

レコーディングスタジオで「絶対イヤです!」とごねる水前寺さんを、星野さんたちが説得。

「わかった、チータ。じゃ、一回だけ!一回だけでいいから、とりあえず歌ってみないか」という星野さんの一言に、渋々折れた水前寺さん。
なぜか一回めでOKが出てしまいました。

「ちょっと待って下さい!今のじゃ納得がいきません。もう一回歌わせてください!」

自ら、録り直しを希望した水前寺さん。歌い直した部分は、二つありました。
一つは、コブシを入れたこと。もう一つは、「ワンツー・ワンツー」の「ツー」を英語風に「トゥー」ではなく、「ツー」と発音したことです。

「それは、ささやかな抵抗というか、演歌歌手としての意地だったんですよね」

そんな経緯もあって、まさかこの歌が売れるとは思っていなかった、という水前寺さん。
ところが、発売直後に子供たちから「あ、ワンツーのおねえちゃんだ!」と呼ばれるようになり、「聴くと元気が出る」「すごく励まされる」と、世代を越えた大ヒット曲になっていったのです。

ところで、演歌ひとすじだった水前寺さんに、星野さんはなぜマーチを歌わせたんでしょうか?
水前寺さんも直接聞いたことはありませんでしたが、だいぶ後になってから『三百六十五歩のマーチ』の歌詞をどんな思いで書いたのか、その答を星野さんが書いた回想録で知りました。

そこには:「この歌は、自分の人生そのもの。体が弱かった自分へのエールのつもりで書いた」と綴られていたのです。

この歌を歌うことで、水前寺さんに、よりスケールの大きな歌手になってほしい、という思いもありました。それを知った水前寺さんは、歌うのを嫌がったことを猛反省したそうです。

以来。より心を込めて『三百六十五歩のマーチ』を歌うようになり、「この曲に勇気をもらった」という声が、水前寺さんにとっても励みになっていきました..。
そんな水前寺さんにとって、故郷・熊本を突然襲った地震はショックでした。
すぐにでも現地に駆け付けたかったのですが、地元の人たちに「今はまだ、混乱しているからその時期じゃない。落ち着いたら呼ぶから」と言われ、5月中旬に熊本入り。
倒壊した家も多く、生まれ育った実家周辺の町並みがすっかり崩れてしまったことに衝撃を受けましたが、それでも下を向かず、前向きに生きる熊本の人たちに、逆に励まされたと言います。

ある避難所では『三百六十五歩のマーチ』をかけて体操をするお年寄りたちがいました。
そこに飛び入りして、一緒に歌ったとき、6年前に亡くなった恩師・星野さんの顔が浮かんだそうです。

「復興にはまだまだ時間がかかりますが、だからこそ、星野先生が書いてくださったこの歌詞を大切に歌いたいですね。『千里の道も一歩から 始まることを信じよう』と。」

水前寺清子_人情A写1

【10時のグッとストーリー】

八木亜希子 LOVE & MELODY 2016年6月18日(土) より

八木亜希子LOVE&MELODY