51年前の本日、1965年6月23日フジテレビ「勝ち抜きエレキ合戦」の放映がスタート。 【大人のMusic Calendar】

OMC20160623立教ビートニクス
※佐々木雄三氏からの写真提供:立教ビートニクス

1965年1月3日より始まったベンチャ-ズ日本公演では、最終兵器と呼ばれたモズライト・サウンドが大爆発を起こして我が国に空前の”エレキ・ブ-ム”が起こる。

メンバ-と直接交流してライト・ゲ-ジの存在を知ったT・I・C(東京インストゥルメンタル・サ-クル)の成毛滋氏(フィンガ-ズ)や堤光生氏(プラネッツ)らによって日本のエレキ少年たちのギタ-の演奏技術は飛躍的にアップするようになる。そんな彼らの動向にテレビ局が敏感に反応、フジTVがエレキのコンテスト番組「勝ち抜きエレキ合戦」(現在、ユンケル黄帝液や風邪薬ストナで有名な佐藤製薬<大正4年創業>の提供)を企画、若いアマチュアが日頃の腕前を競うことになった。

第1回6月23日放映のオ-プニングでは、司会の鈴木ヤスシがテ-マ曲をシャ-プ・ファイブ(三根信弘のギタ-が響き渡る)をバックに歌い、まず審査員として、福田一郎氏、湯川れい子氏、石津謙介氏(人気ファッション・ブランドVANの創業者)、青島幸男氏(人気放送作家から作詞家、俳優、タレントとしても活躍、参議院議員や東京都知事も歴任)らが紹介される。大人たちからすれば”エレキ”という全くそれまでになかった音楽ブ-ムや演奏技術を的確に審査したり評論することは、ほぼ不可能であったことは明白で、審査される若きプレイヤ-たちは、全く理解できない理由で酷評されることも、しばしばだった。

その後、ジャズ・ギタリストの澤田駿吾氏らも審査員として加わる。基本的には4人の審査員がひとりが10点満点で点数を付けるという方式で、記念すべき1組目は、ステッパ-ズというバンドであった。ちなみにこのバンドは”Bulldog”をベンチャ-ズ・スタイルで演奏して26点をもらっている。2組目はサティスファクションというバンドでベンチャ-ズによる5月に発売されたばかりのシングル曲「夢のマリ-ナ号」(東芝LR-1243)を演奏、オルガンが無いためギタ-でサビを演奏している。3組目はカウンティ-・ブラザ-ズというバンドでヴォ-カル入りのカントリ-・ソングを披露、石津氏からバンドのユニフォ-ムを誉められている。

この後レギュラ-のゲスト・バンドとして井上宗孝とシャ-プ・ファイブがシャ-プ・ホ-クス(4人組ヴォ-カル・グル-プ)とともに登場する。模範演奏として「Do You Love Me」をDC5(デイヴ・クラーク・ファイヴ)スタイルで試みるが、ヴォ-カルの英語の発音に違和感が残るも、間奏の三根氏のギタ-がとてもエネルギッシュッかつ個性的で驚かされる。ベンチャ-ズ・コピ-を目指さず、すでに日本人の感覚がとらえたエレキを志していたことが推測される。このセンスが名作アルバム「春の海」に繋がっていったのかもしれない。

4組目についに、伝説のバンド、ザ・ディメンションズが登場する。目黒のアメリカン・スク-ルで結成された英国のシャドウズ・コピ-を目指すバンドで、リ-ダ-はシ-・ユ-・チェンであった。シ-・ユ-は貿易商だった父親が香港から東京に移住したことで、目黒のレンガ造りの洋館で誕生する。彼は、日本の学校には通わなかったので当時はあまり日本語が話せなかった。ちなみに生家は、石坂洋二郎原作「陽の当たる坂道」が日活で映画化(石原裕次郎主演)されたときに撮影場所として使用されている。

すでにこの時点でフェンダ-・ストラトキャスタ-とヴインソン社のエコ-・マシンを装備(プロのシャ-プ・ファイブも持っていなかった!)しての出場で驚かされるが、演奏した「アパッチ」の完成度はかなり高い。シ-ユ-は後に、成毛氏のフィンガ-ズに参加、当時ファンでまだ高校生だったユ-ミンから様々なプレゼントをもらっている。’69年には成毛氏とともにウッドストック・コンサ-トを体験、現在ではファッション、インテリア等のデザイナ-として大活躍を見せている。ちなみに、このディメンションズのジュニア・バンドに植田芳暁氏(後、ワイルド・ワンズ)がドラマ-として参加している。
審査員から32点をもらって結果としては、第1回のチャンピオンに輝いている。

最後は、これもエレキ・レジェンドとして名高い立教ビ-トニクスが登場、ベンチャ-ズから直接購入したモズライトで”Driving Guitars”を演奏した。メンバ-の五島穣三氏(LG)は、築地の旅館「東家」(あずまや)で誕生、すでに中学生の時からギタリストとして評価を得ていて、高校生の時に旅館の常連客だった灰田勝彦氏に頼んでフェンダ-・ストラトキャスタ-を入手していた。

この年のエレキ・ブ-ムによって生まれた東宝映画「エレキの若大将」(監督、岩内克己、加山雄三主演)の脚本を担当した田波靖男氏がやはり東家の常連客だったことにより、旅館の息子であった五島氏に当時のエレキについて様々な角度から取材を試みている。あの映画に登場する田沼雄一は、五島氏がモデルであったと言って良いだろう。ビ-トニクスは30点で惜しくも敗退するが、アマチュア先行型の日本のエレキ・ブ-ムの中心にいたことは、間違いない。TVに登場してエレキをかき鳴らす彼らの姿に胸をときめかした若者たちが、やがて訪れるビ-ト・ミュ-ジックのブ-ムを創造していくことになる。

【執筆者・写真提供】佐々木雄三

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