1968年6月22日、人気絶頂のザ・タイガースが「木島則夫ハプニング・ショー」に生出演し、批判のヤリ玉に挙げられ番組炎上。 【大人のMusic Calendar】

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1968年6月22日、「木島則夫ハプニング・ショー」で当時人気絶頂のタイガースが批判のヤリ玉に挙げられ番組炎上という「事件」があった。GSブームも最高潮なら、特に長髪GSへのバッシングも激しかった時代を象徴するものとされている。

私は「木島則夫ハプニング・ショー」をリアルタイムで見たことはないが、1968年5月から10月まで日本テレビ系で放映されたワイドショーで、土曜の夜10時30分から1時間の生放送。司会の木島則夫(43歳)ともどもカメラは街に出向き、「常に生放送」「台本は作らない」をモットーにした型破りな番組、とのこと。

タイガースを取り上げた当日の放送からの採録と検証が『ザ・タイガース研究論』(2015年、近代映画社刊)に掲載されているが、その研究会には私も関わらせていただいたので、番組の録音(音声のみ)が手元にある。あらためて今回それを聴き直してみた。

まず、通常なら公演しない夜10時30分からという深夜とも言える時間帯に東京・池袋のジャズ喫茶に主に高校生の女の子たちを入れての生放送となれば、「こんな夜の今、繁華街の巣窟で」と第一印象からしてタイガース側に大いに不利だったのではなかろうか。だが、遅い時間なので一緒に招かれていた保護者の母親たちに感想を尋ねると「心配していたが、思っていたより健康的」とか「ウチではそんなに制限はしていないんです、人に迷惑さえ掛けなければ」など、意外にもPTA的じゃない答えが返って来る。

続けて、実業家・菅原通済(74歳)、落語家・5代目 柳家小さん(53歳)、女優・宮城千賀子(45歳)といった著名人も登場。こちらは年齢からも想定される通り、基本的にタイガースを擁護することは無い(が、よく聞くと全く否定している訳では無い)発言が続くが、それよりも一躍脚光を浴びるのは飛び入り(?)の学校の先生(確認出来るのは声だけなので年齢は不明だが40歳くらいか)で、差別用語を連発、最もソフトな表現でも「こういうファンの女の子たちは大脳が発達していない」てな具合。

さすがに相手にしていられないとタイガースは発言を遮るように演奏を始めたりして、木島に「大人が話を聞きたいと言ってる時に勝手に演奏しちゃって」とか非難されるのだが、自分の娘を攻撃された形の母親たちは「タイガースにもプライドがある」「先生にしてはあまりに酷すぎる」と一致団結。
女の子たちも手を挙げて「社会が大人の汚職とかで汚いし、グループサウンズより魅力のあるものって無いでしょ」と、堂々と主張。

面白いのは、体制側の切り札としてか、若手の権威であった音楽家・黛敏郎(39歳)も現場に呼んであったようなのだが、押され気味になった司会者がこのあたりで声を掛けても雲隠れ。さすが分かっていらっしゃる。

MC代表のジュリー(20歳になる3日前)は苛立ちを抑え切れない様子で受け答えも挑発的になるが、そこで岸部‘サリー’一徳(21歳)が歩み出て、「若者を全然理解しないようなのは本当の大人じゃないと思うんです。これから僕たちが何十年か先、大人になった時は、もっと綺麗な大人になりたいと思います」と言い切る。
こんな収拾が付きそうもない展開となった台本無しの生放送の場で、とっさに「綺麗な大人」って決め台詞。さすが(将来の)名役者サリー♪

これで一気にタイガースは母娘連合と共に、企みがあったような大人側を寄り切る態勢になり、タイガースが奏でる凱歌だけが高鳴るという状況に。

ところが、さっきの先生だけは、負けじとばかり、独りで吠える。
「これだけの女の子を惹きつける魅力があるから、若者が他の素晴しいものから目を反らされちゃうんだっ! 彼らの歌には恋の夢はあるけれども、日本の明日の未来の指導性が無いっ! これだけの力があるのに、もったいないよっ!」と、褒めてるんだか貶してるんだか支離滅裂気味でも、外国ロック曲のコピーより、むしろこの先生の、思っていることをシャウトしまくる方がロック、いやパンクかも。
対抗文化たるロックとしての日本のGSに足りなかったのは、パッション全開のこんなオリジナル詞だったんじゃないだろうか、なんて結構ホンキで思ったりもした次第だが、何せ最初のヘイトスピーチがあまりに酷かった故に誰も聞く耳持たず。

そんな混沌の中、最後の方で生CMが挟まれ、そこでは木島らしき人が「わたしゃ、分かんなくなって来たよ、こりゃ歳かな。もっとも、ボクも中学時代、よく宝塚、毎月行ったもんなぁ~」なんてオトボケするオチもあり。

と、タイガースにとって必ずしも深い痛手となる「事件」では無いとも思われるし、番組コンセプトのようなハプニング展開でこそ浮き彫りにされたものも多々あって大いに興味深い記録になってもいるのだが、やはり恣意的と思える導入部から、融和よりは対立が前提とされているようで、結局そうした流れの中で感情的に終始してしまった徒労感こそが、当のメンバーにも、そしてファンの視聴者にも残ったのではないだろうか。
特に当日の昼間には多数のファンと共に盛大な誕生パーティを開催したというジュリーは感情の落差の激しい1日になったせいか、もはや忘れていたらしい当の発言者である岸部よりも断然強く記憶に刻まれていたようで、ちょうど還暦を迎える2008年に発表された曲「Long Good-bye」で「僕らは綺麗な大人になれたかな」と綴っている。

【執筆者】小野善太郎

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