47年前の本日、平山三紀が「ビューティフル・ヨコハマ」でデビュー

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1970年11月10日、橋本淳=筒美京平コンビの秘蔵っ子、平山三紀(現・平山みき)が「ビューティフル・ヨコハマ」でデビューを果たした。

平山三紀は東京・大田区の生まれ。大井町にある日本音楽学校に通い、そこで山室英美子(現・白鳥英美子)と同級生になる。その後、渡辺プロダクションに張った山室から、ナベプロ直営のライブハウス「メイツ」で専属シンガーを募集しているとの話を聞き、オーディションを受け合格、山室とともに「メイツ」で歌うようになる。当時の「メイツ」にはナベプロ所属のシンガーが日替わりで出演し、ハプニングス・フォーのファンであった平山は、彼らが「メイツ」に来ることを楽しみにしていたという。

デビュー前の平山三紀の姿は、1967年に公開された東宝のクレージー・キャッツ映画『日本一の男の中の男』で、銀座のクラブ「メイツ」専属の「メイツガールズ」の1人として、ミリタリー・ルックで、白鳥英美子や久美かおりと一緒に歌っている姿が確認できる。機会があれば是非観ていただきたい。

平山三紀のデビューのきっかけは、コロムビアのディレクター渥美章が、メイツで歌う平山の姿を見て、彼女がメイツを辞めた後に声をかけ、作詞家・橋本淳と作曲家・筒美京平に紹介したことによる。筒美京平は一度聴いたら忘れられない強烈なハスキー・ボイスに惚れ込み、橋本と筒美がホテル・ニュージャパン内に構えていた「宝島音楽事務所」でレッスンを行い、この2人の作詞と作曲でデビューとなった。その後も81年の『鬼が島』で近田春夫プロデュースを受けるまでは、彼女のオリジナル曲のほぼすべてが橋本=筒美コンビによるものであった。

「ビューティフル・ヨコハマ」は、同じ橋本=筒美コンビによるいしだあゆみの69年のメガ・ヒット「ブルー・ライト・ヨコハマ」(発売は68年12月)の続編を意識して作られたという。だが、歌の世界はまったく異なっており、ともに具体的な地名こそ出てこないが、シチュエーションも「ブルー・ライト・ヨコハマ」は橋本淳が、港の見える丘公園からの夜景の美しさがベースになったと語っている通り、馬車道~山下公園~元町~山手といったスポットをそぞろ歩く、いわゆるヨコハマ観光案内のような内容だが、「ビューティフル・ヨコハマ」の横浜はずばり本牧。夜ごと不良たちが集まるたまり場スポットが舞台で、土着のヨコハマ遊び人たちの群像が描かれている。筒美京平のメロディーとアレンジも、チェンバロを効かせた哀愁メロディーの「ブルー・ライト・ヨコハマ」に対し、ファンキーなホーンを全面的にフィーチャーした黒っぽいフィールの「ビューティフル・ヨコハマ」である。ちなみに歌詞に登場する「ハルオ」は橋本淳の息子の名前、「ゼンタ」は筒美京平の息子の名前だそう。
B面となった「さよならのブルース」もまた橋本=筒美コンビの隠れ名曲として知られている。当初、こちらがA面候補という話もあったそうだが、平山三紀本人の記憶では、最初から「ビューティフル・ヨコハマ」で決まっていたはず、とのこと。

47年前の本日、平山三紀が「ビューティフル・ヨコハマ」でデビュー

「ビューティフル・ヨコハマ」は大きなヒットにこそならなかったものの、この1曲で歌手・平山三紀の「都会の遊び人の女性」というイメージは決定づけられた。この蓮っ葉な不良っぽさは、次作で彼女最大のヒットとなった「真夏の出来事」の乾いた不良イメージへと継承され、その後も73年の「恋のダウン・タウン」、CBSソニー移籍後の74年作「真夜中のエンジェル・ベイビー」へと連なる遊び人路線が、既にデビュー時点で確立されていたのであった。

47年前の本日、平山三紀が「ビューティフル・ヨコハマ」でデビュー

作詞家・橋本淳の個性は、3作目「ノアの箱舟」やヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」のような観念的でスケール大きくイメージ喚起力を高める詞作、6作目「月曜日は泣かない」や欧陽菲菲「夜汽車」「雨のヨコハマ」のように純歌謡曲的なハートブレイクものなど、多岐に渡っているが、最大特徴はやはり、この「ビューティフル・ヨコハマ」のほか、いしだあゆみ「太陽は泣いている」やオックス「ダンシング・セブンティーン」などに見られる、乾いた遊び人の世界だろう。東京の港区、渋谷区、横浜、横須賀、湘南ぐらいしか舞台になっていない点も凄いが、その最高の体現者が平山三紀であったことは間違いない。

なお、「ビューティフル・ヨコハマ」はCBSソニー移籍後の1975年に、ベスト・アルバム『平山三紀ヒット全曲集』のなかで、筒美京平自身によるリアレンジで再吹き込みされたテイクが存在する。同じくコロムビア時代の「真夏の出来事」「フレンズ」「恋のダウン・タウン」も再吹き込みされているが、ソニー版の「ビューティフル・ヨコハマ」は当時のトレンドであったフィリー・ソウル風のディスコ・アレンジでテンポ・アップされており、一層ダンサブルな仕上がりだ。近田春夫や横山剣は、こちらのソニー版「ビューティフル・ヨコハマ」をフェイバリット・ソングに挙げているのも納得の、完成度の高さである。

※「ビューティフル・ヨコハマ」「真夏の出来事」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。
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