小島一慶は一行読んでニッポン放送一次試験に落ちていた…

「レジェンドアナウンサー対談 第3弾」、きのうにひきつづき、元TBSアナウンサー小島一慶さんをお迎えしました。

高嶋)若かったですね。突っ走っていましたね。そもそも、小島さんがTBSにしたのはなぜなんですか?

小島)ニッポン放送も受けたんですが、一次試験で落ちたんです。『道路を横切るのは危険です』と一行読んだら、「もう結構です」と言われまして、自分一人だけ落ちまして。そのあと就職浪人して、縁あってTBSでアルバイトをすることに。そして、TBSを受験する際に、みんな怖気づいているから「大きな声で話すように」とアドバイスを受けたんです。そこで当日、「受験番号何番です」と大声でやったんです(笑)。そしたら、「耳が遠いんじゃないか」と言われましたけど(笑)。

高嶋)一慶さんは小柄でやんちゃ、粒だっていた。普通のアナウンサーで平均、というわけじゃなくて、会社も「ばくちかもしれないが、捨てるつもりでとっておこう」ということだったのかな(笑)。

小島)同期のディレクターが「オーディション受けろよ」とアドバイスしてくれて、10月の番組が決まっちゃって、この路線になったんです。

高嶋)一期上の久米宏さんは仲良しだったんですか?

小島)だった、ですね。「辞めるときはいっしょにやめよう」と言っていたのに、久米さんが辞めると聞いたのは、発表された後でした。そこから疎遠に・・・。

高嶋)思い出したくない話だとおもうのですが・・・みのもんたさんとの比較になりますが、その昔、おふたりは同時期に女性問題が持ち上がりました。みのさんはとぼけ通した一方で、一慶さんは真面目に詫びた。番組も降板して、涙を流して・・・対照的でした。覚えてますよね?

小島)覚えてます。忘れられない。でも、この世界にどっぷりいるのがいいのかどうかわからない。

高嶋)そうですよね、一慶さんはいま俳句の世界にいると?

小島)10年ほど前からのめりこんでいて、カルチャーセンターで教えています。俳句は90になってもできます。

高嶋)人は新しい道を発見するもの。どこがどうなるかわらなりません。テレビなんかに出なくなると、人は売れてないと思ったりしますが、足跡をたどると活躍している。俳句の先生になるきっかけは何だったのでしょうか。

小島)私は趣味が写真で、花や風景を撮っていて。その写真を一言添えられるといいなと。で、俳句がいいと。たとえば、新米の句、「山頂の風 新米の握り飯」。これは師匠に褒められました。師匠は高浜虚子のひ孫、星野高士先生です。

高嶋)いまリタイアすると俳句に行く人が多いですね。吟行といって、自然を愛でながら一句やる・・・

小島)お金かからないし、一人でいられる。頭の中でくるくる言葉を並べ、遊べます。

高嶋)季語が今と時代違うし、決まった型を作るというのが僕は苦手ですね。でも、小島一慶さんのことを三國一郎さんが「いいセンスしてる」と褒めていた。一慶さんが競馬場で中継しているときに、「尻に敷いているのには読売新聞で、競馬新聞を敷いている人は一人もいません」と言った。これは情景が目に浮かぶと。

小島)でも、あるとき競馬場で大声で中継やったら「来るな」と言われたりもしました(笑)。

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10月17日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より

高嶋ひでたけのあさラジ!
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