ロンドンパラリンピックで7位に入賞、ここから始まった日本の快進撃。 廣瀬隆喜(ボッチャ日本代表)インタビュー(3)

ニッポンチャレンジドアスリート・廣瀬隆喜(ボッチャ日本代表)インタビュー(3)】

このコーナーは毎回ひとりの障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

ニッポンチャレンジドアスリート 花岡伸和

廣瀬隆喜(ひろせ・たかゆき)
1984年千葉県君津市生まれ。先天性脳まひのため、普段は車いすで生活を送る。高校時代から本格的にボッチャを始め、2006年日本ボッチャ選手権で初優勝。通算6回日本一に輝いている。北京、ロンドンに続き、リオパラリンピックにも出場が決定。初のメダルを目指す。

―台頭するアジア勢の中で現在日本の位置は?

廣瀬 今の世界ランキングでいうと7位です。パラリンピックの水準記録は超えているのでリオへは行けると思っています。

―廣瀬が初めてパラリンピックに出場したのは2008年の北京大会、この時は代表の中で一番年下ながらキャプテンも務めた。

廣瀬 はじめてのパラリンピックだったので、緊張していたのですが、自分の持っているものをすべて出そうという気持ちで戦いました。床材が微妙に違ったのを選手間で共有したり、いろいろな情報を選手間で意見交換をしながらできて、いい経験ができたと思っています。

―世界の壁は厚く、不本意な成績で終わった北京パラリンピック。ここで見えた課題とは?

廣瀬 ミスが多いと負けてします。強い国はミスがなく試合展開をしてくるので、やはりミスが多かったと思います。

―北京での敗戦を糧にして続く2012年ロンドンパラリンピックで日本は団体で初めて1次リーグを突破した。順々決勝でアメリカに敗れ、7位に終わったが廣瀬は大きな手ごたえを得た。

廣瀬 北京パラリンピックの時は日本チームとしては何もできなかった。でもロンドンパラリンッピックでは、予選リーグでスペインという強い国だったのですが、チームの中で予選を1位通過しようという目標を立てて挑んだ結果、突破できました。個人では北京と同じような順位でメダル圏内にも入らなかったのですが、健闘することはできたと思っています。

―去年、廣瀬はポーランドのポズナンで行われたボッチャ世界オープンで個人3位、団体では優勝を果たした。また、ソウルでの世界オープンでも個人順優勝、世界大会で確実に結果を残せるようになった理由は?

廣瀬 日本チームが一丸となってアジア・オセアニアン団体戦に挑んだ結果がメダルにつながって、そのいい流れのままみんなでポズナンに行くことができて、団体で優勝、個人戦では3位に入ることができました。翌月の韓国のソウルでやったワールドオープンで団体戦、ペア戦でメダルがなかったということもあって、個人戦でもメダルなしで帰ることはできないと、気持ちを引き締めて個人戦を戦った結果、準優勝することができました。

(2016年6月6日~6月10日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
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(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
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