運動会で使われるあの曲、ご存知ですか?

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運動会で使われるあの曲、ご存知ですか?

 

きょうは「体育の日」。いうまでもありませんが、1964年の東京オリンピックの開会日を記念して1966年から「10月10日は体育の日」として制定されました。しかし2000年から、ハッピーマンデー制度によって、10月の第2月曜日に変更されました。きょうのやじうま好奇心は、「体育の日」を記念して運動会で流れる「音楽」の歴史、意味などについて迫っていきます。

「ラッパ吹きの休日」

 
「ラッパ吹きの休日」もしくは「トランペット吹きの休日」というタイトル。原題は「BUGLER'S  HOLIDAY 」( ビューグラーズ・ホリデイ)。ビューグラーとは、進軍ラッパ吹きのこと。

作曲者は1908年生まれの、アメリカ人、ルロイ・アンダーソン。ハーバード大学で音楽理論や作曲などを学び、のちに言語学の研究員になるほどの秀才。またハーバード大学の楽団の指揮者も務めていた。しかし第二次大戦がはじまり、軍に入隊。スカンジナビア語担当の情報将校としてペンタゴンで働いていたそうです。朝鮮戦争にも出ていたなんて話も聞きました。そして音楽の方は、一風変わった曲を作るので有名だった。そして1954年に、この「ラッパ吹きの休日」を作りました。この曲には、普段は仕事で進軍ラッパを吹いているけれども、休みの日には、自分の好きなラッパを、自分の好きなように楽しく、陽気に、吹きたい!という意味が込められているそうです。

 
「藁の中の七面鳥」

 
フォークダンスの、オクラホマミキサーの時に流れる曲。曲のタイトルは「藁の中の七面鳥」。

そもそも、なぜ運動会で踊るのか、ご存知ですか?運動会が全国的に広がったのは、明治29年(1896年)初代の文部大臣の森有礼が、全国の小中学校で運動会を実施するように命じたからなんだそうです。身体を鍛えて、いい兵隊にしたいと思ったんでしょう、きっと。しかし当時の小中学校は、運動会を開催するほどの運動場を備えていなかったため近所のお寺などで「運動会」は行われました。そしてついでに「夏祭り」や「秋祭り」もやった。その流れで、運動会の種目の中に、「盆踊り」や「豊年を願う踊り」が取り入れられるようになったそうです。

またフォークダンスダンスが日本中に広まったのは、戦後、GHQの長崎軍政府に赴任した教育官のウィンフィールド・ニブロ氏という人いて、「男女共学」の精神を浸透させるため学校を回って男子と女子が手を取り合う、このフォークダンスダンスを指導したからなんだそうです。へえー、こんなこと初めて知りました。そして、その時に使われた曲が、1830年ごろアメリカで流行った、この「藁の中の七面鳥」だと言われています。ちなみにウィンフィールド・ニブロ氏は「日本のフォークダンス」の父と呼ばれているそうです。

 
「見よ 勇者は帰る」

 
相撲好きのわたしとしては、この曲を聞くと、パンアメリカン航空のデビッド・ジョーンズさんの「ヒョー、ショー、ジョー」を思い出します。必ず表彰式の時に流れるこの曲。タイトルは「見よ 勇者は帰る」。我々が子供の頃は「見よ 勇者は帰りぬ」と言っていました。

1685年生まれのドイツの作曲家、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが作った楽曲で、元々、音楽劇「マカベウスのユダ」という、古代ユダヤの史実に基づいた、英雄物語の中で流れる曲だったそうです。この曲が日本にやってきたのは明治初期。イギリスの陸軍軍楽隊長が、日本の軍の音楽隊に、教えたのが最初と言われていて、その後、海軍の運動会で演奏され、徐々に日本国内に広まっていったそうです。

 

10月9日(月) 高嶋ひでたけのあさラジ!「三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より

高嶋ひでたけのあさラジ!
FM93AM1242ニッポン放送 月~金 6:00~8:00

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