40年、2代にわたってはな子を見守った親子。 「あけの語りびと」(朗読公開)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』

先月26日。はな子が死にました。

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はな子は、昭和23年、戦後の日本にタイから贈られた初めてのインド象。
井の頭自然文化園で飼われていた国内最高齢(69歳)の象でした。

特定の場所に72時間=3日間カメラを据えて、そこを訪れる人々の人生を浮き彫りにする『ドキュメント72時間』が、はな子をテーマにしたことがあります。

*孤独に老いたはな子の姿に自分を重ねる老人
*その巨体に圧倒されて息をのむ子ども
*はな子にブツブツと何かを語りかける人

様々な人が様々な形で、はな子を愛していました。

現在は、東京多摩動物公園に在籍する山川宏冶さんは、父親の清蔵さんと親子2代、40年にも渡ってはな子を手がけた方です。

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「はな子って、どんな象なんですか?」 と聞かれたとき、山川さんは、こんなふうに答えてきたといいます。
「お茶目なおばあちゃんですよ」 いたずら好き、淋しがりや、そして人なつこいおばあちゃん・・・。

こんなアイドルのはな子が「危険な象」と恐れられたことがあります。
*昭和32年、深夜の象舎に侵入した酔っ払いを死なせた。
*その3年後、男性飼育員を踏んで死なせた。
この2度の事故によって「怖い象」というレッテルを貼られたはな子は、人の目に触れないように象舎に閉じ込められ、前後の足を鎖でつながれてしまったのです。
この頃、はな子の飼育担当に赴任したのが、山川さんの父、清蔵さんでした。
清蔵さんが目にしたのは、薄暗い象舎につながれて、肋骨が浮き出るほどにやせ細り、目だけをギラつかせている変わり果てたはな子の姿でした。

清蔵さんが、はな子の前後の足につながれた鎖を解いてやったのは、赴任してからわずか4日目のことでした。
4日間で、はな子が凶暴な象ではないことを見極めたのでしょう。

運動場に出されたはな子は、うれしそうに歩く、駆ける、足踏みをする。
体を動かせば、お腹も減ります。失われていた食欲も徐々に戻ってきました。
けれども、その体が元に戻るまでには、8年の歳月を要したといいます。

出勤すると朝一番に、はな子に会いにいったという清蔵さんは、それから一日中、はな子に寄り添い、語りかけ、その体にふれていました。
「よく飽きないもんだなぁ」と、同僚の飼育員は感心したといいます。
清蔵さんは、はな子の足の鎖だけでなく、心の鎖も解きたかったのでしょう。

清蔵さんの半生を『父が愛したゾウのはな子』という本にまとめ、「現代書林」から出版した息子の宏冶さんは、そのあとがきに記しています。

『明けても暮れても「はな子、はな子」で、はな子のことしか頭になかったような〝モーレツ飼育員〟の父は、家では無口。そして頑固。息子とキャッチボールひとつしたことがありません。はな子とのコミュニケーションは上手だったかも知れませんが、ひとり息子とはほとんど話もせず、自分の人生観とか職業観を伝えることもなく、平成7年、66歳で逝きました』

その後の10年を、はな子の飼育員として勤め上げた宏冶さんは、その巨体を通して、亡き父の想いにふれたといいます。
(ああ、こんな気持ちで、エサを食べさせていたのか)
(病気になると、こんなに心配だったんだ!)

はな子が死んだ翌日から、井の頭自然文化園に設けられた献花台には、今も花束やメッセージが届き続けています。
天に召されたはな子は無事に、清蔵さんとの再会を果たしたのでしょうか?

2016年6月13日(月) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より

朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ