「テケテケテケ…」ベンチャーズ歌謡  ここがポイント!

歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)

最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。

だんだん暑くなってきました。キンキンに冷えたビールで涼んでいる方も多いと思いますが、音楽で涼むなら「エレキ」です。「テケテケテケ…」(正式には「クロマティック・ラン奏法」と言いますが)の爽快感は、これからの季節に欠かせませんが、今回はエレキサウンドをフィーチャーした「エレキ歌謡」の系譜を押さえておきましょう。まずは“ベンチャーズ歌謡編”です。

二人の銀座

1965年、4人編成で初来日して以降、日本全国にギター小僧を生み出したザ・ベンチャーズ。日本のエレキブームを作ったのは彼らですが、同じ東芝音工に所属していた加山雄三との交流を通じ、日本の歌謡界にも“作曲家”として関わるようになります。その先駆となったのが、66年、和泉雅子・山内賢が歌った『二人の銀座』です。

この曲はもともと越路吹雪(東芝所属)のために、ベンチャーズが銀座の夜景をイメージして書いたものでしたが(英題は『GINZA LIGHT』)、曲を聴いた越路は「これは自分が歌うより、もっと若い人が歌った方がいい」と青春映画スターの二人に曲を譲ったのです。作詞は永六輔が担当、軽快な曲調と爽やかな歌声でミリオンセラーの大ヒットとなり、翌年、二人の主演で同名の映画も製作されました。

この大ヒットによって、東芝は他の所属歌手の曲もベンチャーズに依頼するようになります。67年、奥村チヨの『北国の青い空』を経て、70年、渚ゆう子に書いたのが『京都の恋』です。

京都の恋

それまでハワイアン歌謡を歌っていた渚ゆう子ですが、和風エレキ歌謡への路線変更は大成功。古都・京都とエレキサウンドはミスマッチかと思いきや、琴の音に通じる部分もあり、彼女をスターダムにのし上げるビッグヒットとなりました。

京都慕情

第2弾の『京都慕情』は、さらに和の心を推し進めた名曲で、日本の作曲家以上に、日本人の琴線に触れるメロディーラインには「なんでこういう曲が書けるんだろう」と舌を巻くばかりです。ベンチャーズの幅の広さはギタリスト、ジェリー・マギーの才能に依るところが大きいのですが、渚ゆう子の一連のヒットも、彼のアイデアであることは間違いないでしょう。

この成功をふまえて、71年、東芝は台湾から呼び寄せた新人歌手のデビュー曲をベンチャーズに託します。欧陽菲菲『雨の御堂筋』です。

雨の御堂筋

台湾の歌手+大阪+エレキサウンド。まったく接点のない3つの要素が、「アナタハトコヨ〜」というカタコトの日本語によって奇跡的なグルーヴを醸し出し、これもミリオンセラーに。欧陽菲菲はこの年、レコード大賞新人賞に輝いただけでなく、翌72年、来日外国人歌手として初の紅白歌合戦出場も果たしています。

今年も7月に来日、全国をツアーして廻るベンチャーズですが、彼らの手による「ベンチャーズ歌謡」は、歌謡曲の幅を大きく拡げました。次回はエレキサウンドが歌謡曲にどう浸透していったかを見ていきます。

“ベンチャーズ歌謡”ここがポイント!
<こんな曲も書いていたベンチャーズ>

・奥村チヨ…『北国の青い空』(1967年)
…ベンチャーズが、公演先の北海道の青空に感動して作った曲、
奥村チヨがセクシーに熱唱
・三枝マモル …『北国の別れ』(1972年)
…元ザ・ゴールデン・カップスのドラマー、マモル・マヌーのソロ曲をベンチャーズが全面プロデュース
・青木リカ&アルファード…『ひとりゆくさすらい旅』(1973年)
…中平康監督『混血児リカ』シリーズ・第2作主題歌、男女掛け合いの軽快なエレキ歌謡、作詞は脚本担当の新藤兼人

6月18日(土)朝8時半〜『八木亜希子 LOVE & MELODY』はスペシャル企画
「有名人が語る 人生を変えたこの一曲 〜ザ・決断」を放送。
ベンチャーズの影響でギターを始めたという伝説のギタリスト・鈴木茂さんが「人生を変えた一曲」を告白します。
果たして、ギタリスト人生の原点となった曲とは?お楽しみに!

【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。