ライター望月の駅弁膝栗毛

松阪駅「黒毛和牛牛めし(復刻掛け紙付き)」(1,400円)~駅弁屋さんの厨房ですよ!(vol.7あら竹編②)

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【ライター望月の駅弁膝栗毛】

特急「(ワイドビュー)南紀」

キハ85系・特急「(ワイドビュー)南紀」、紀勢本線・徳和~多気間

名古屋~新宮・紀伊勝浦間を3時間40~50分かけて結ぶ、特急「(ワイドビュー)南紀」号。
JR東海が発足後、初めて作った特急用車両で、大きな窓が特徴の“ワイドビュー”特急の元祖、キハ85系気動車で運行されています。
通常は4両編成で、1日4往復。
繁忙期には臨時列車が運行されるほか、定期列車も6両に増結されています。

新竹浩子

あら竹・新竹浩子社長

そんな「(ワイドビュー)南紀」が走る、紀勢本線(亀山~新宮間)唯一の駅弁販売駅が「松阪駅」。
松阪駅からは名松線(めいしょうせん)が分岐するほか、近鉄線との接続駅にもなっています。
この松阪で長年駅弁を手掛けるのが、「株式会社新竹商店」です。
祇園」「丸政」「しまだフーズ」「松栄軒」「池田屋」「新杵屋」に続く、「駅弁屋さんの厨房ですよ!」シリーズの第7弾は、松阪駅弁「新竹商店」の新竹浩子(あらたけ・ひろこ)社長に伺います。


昭和の蒲生氏郷~二代目・新竹亮太郎!

 
松阪城跡

松阪城跡(2009年撮影)

―新竹家が「松阪駅」の構内営業を担うようになったきっかけは?

新竹家は明治時代、参宮鉄道(現・紀勢本線・参宮線)が出来る際、松阪駅と線路敷設のための土地買収のお手伝いをした功績から、松阪駅の構内営業を認められました。
でも、初代の新竹真之丞(あらたけ・しんのじょう)は、日露戦争に召集され、戦地で“戦病死”してしまい、奥さん(新竹ふく)が、戦争未亡人として構内営業を続けていく形になりました。
子どもは女の子しかいなかったため、鉄道会社の紹介で、近江の銀行員だったお婿さんを迎えることになりました。

―近江から松阪というと、松阪の祖“蒲生氏郷(がもう・うじさと)”みたいですね?

そうですね!
当時は旧東海道のルート、今の関西線~草津線エリアの行き来が盛んだったんですね。
これが私の祖父、二代目の新竹亮太郎(あらたけ・りょうたろう)です。
このお祖父ちゃんが相当キレ者で、松阪の商工・観光に努力したということで、亡くなった時に松阪市の名誉市民にも選ばれているんです。
ま、私からすると、すごく背が高くて、いつも怖い顔してるという印象しかないんですけどね。

C11形蒸気機関車227号機

大井川鐵道のC11形蒸気機関車227号機(2015年撮影)

―SLを買われたのも、二代目のご主人ですよね?

昭和49(1974)年頃、国鉄から蒸気機関車を買いませんかというお話をいただき、福島の只見線や会津線で活躍していた「C11形蒸気機関車312号機」を購入しました。
そして、当時松阪市内にあった「ドライブインあら竹」で静態保存されることになりました。
当時は『SLのあるドライブイン』として、とても珍しがられました。
お祖父ちゃんは近江、松阪、会津とゆかりがあって、ホント、蒲生氏郷に重なるところがあります。

―この機関車は、どうなったんですか?

昭和63(1988)年、伊勢自動車道の延伸に伴うドライブイン移転を機に、手放すことになりました。
ちょうど、静岡の大井川鉄道(当時)から、蒸気機関車を譲ってほしいという話があったんです。
お祖父ちゃんの手入れがよかったせいか、奇跡的に再復活することが出来、平成19(2007)年まで19年間にわたって大井川で活躍することが出来ました。
今も大井川で動態保存されている蒸気機関車の縁の下の力持ちになっていると思います。


●夫婦で生み出した日本初の「ブランド牛」駅弁!

 
キハ80系81形

昭和40~50年代、紀勢本線で活躍したキハ80系81形(2006年撮影)

―(話は少し戻って)この新竹亮太郎さんが開発したのが「元祖特撰牛肉弁当」なんですよね?

昭和34(1959)年7月15日に紀勢本線が全線開通しました。
その2年くらい前、当時の国鉄・天王寺鉄道管理局(注)から新しい路線が出来るのに合わせて、松阪のご当地名物を使った駅弁を・・・という要請がありました。
そこで、私の祖父と祖母が1年にわたって試行錯誤しながら考案したのが、日本で初めてのブランド牛を使った駅弁「元祖特撰牛肉弁当」なんです。

―昭和30年代当時、「牛肉」は高いものだったでしょう?

当時から“松阪牛”は高いものでした。
でも、高くても駅弁にするには、「そこそこの値段」のものにしなくてはいけません。
肉選びでは「丸中本店」の方に相談して、いろんな部位で試作を何度も繰り返していきました。
その結果、たどり着いたのが、女の子の赤身の内もも・・・それも女子中学生くらいの。
未経産ですから、瑞々しくて美味しいんです!

(注)天王寺鉄道管理局
国鉄時代、昭和62(1987)年まで紀勢本線(亀山~和歌山市間)、関西本線(亀山以西)などを管轄していた組織、通称“天鉄”。
分割民営化に伴って紀勢本線は、非電化区間の亀山~新宮間はJR東海に、電化された新宮~和歌山市間はJR西日本に移管された。

元祖特撰牛肉弁当

元祖特撰牛肉弁当(あら竹創業120周年バージョン掛け紙)

―肉の焼き方には、どんな工夫があるんですか?

丸中さんから届いた内ももの肉を、家でフツーに焼いたら固くなってしまうと思います。
そこで、試行錯誤を繰り返しながら、下味をつけて焼くことで、固さをクリアしていきました。
『西洋では牛肉を食べる時に、葡萄酒を一緒に呑むらしい』という話を聞きつけて、「だったら、赤ワインを肉に漬けこんでみたらどうだろう」と思い浮かんだといいます。
“天鉄”さんにも何度も試食してもらって、ようやく今の冷めても柔らかい駅弁が出来ました。

―価格設定もかなり思い切りましたよね?

当時の日本の駅弁では、最も高いとされる「150円」に設定しました。
今の貨幣価値でいうと3,200~3,500円くらいになるんじゃないかと思います。
現在、「あら竹」で出している一番高い駅弁が大体3,000円台ですから、それと同じようなイメージではないでしょうか。
そうして、昭和34(1959)年7月の発売の日を迎えたんです。

黒毛和牛牛めし

黒毛和牛牛めし(復刻掛け紙付き)

―今も「黒毛和牛」の肉を仕入れるのは大変ですよね?

確かに黒毛和牛の仔牛の単価は、高騰しています。
理由は2つあって、まず仔牛の農家が全国的に減っていること。
もう1つは、諸外国が仔牛を“爆買い”していて、仔牛の単価が非常に上がっているんです。
だいたい1.5倍になっているといいます。
少し前にも牛肉が値上がりしたんですが、「あら竹」では弁当の原価率を上げて価格を据え置いたり、肉屋さんが、「駅弁の値段をそんなに上げることが出来ない」ことを汲んでくれて、頑張ってくれているんです。

(新竹浩子社長インタビュー、続く)

黒毛和牛牛めし

黒毛和牛牛めし(復刻掛け紙付き)

厳しい環境が続く中、松阪ゆかりの黒毛和牛を贅沢に使って作られる「あら竹」の牛肉駅弁。
「あら竹」の懐かしい雰囲気を楽しめる駅弁といえば、今年1月10日から個数限定で販売されている「復刻掛け紙付き 黒毛和牛牛めし」(1,400円)です。
昭和初期、実際に「あら竹」で販売されていた駅弁の掛け紙が、人気駅弁「黒毛和牛 牛めし」の掛け紙として、現代によみがえりました。

黒毛和牛牛めし

黒毛和牛牛めし

今年(2017年)1月、京王百貨店新宿店の「第52回全国有名駅弁とうまいもの大会」でも特別販売された「復刻掛け紙付き 黒毛和牛牛めし」。
地元・三重の「ミエマン」の醤油に少々の甘味を隠し味として加え、赤ワインベースで、サッと煮込まれた黒毛和牛が白いご飯の上に載っています。
お好みで付添の「粗挽き黒こしょう」をかけていただきます。

黒毛和牛牛めし

黒毛和牛牛めし

明治時代から続く松阪駅弁の歴史に思いを寄せていただくにはピッタリの掛け紙。
その掛け紙を外すと、いい匂いと共にふわふわの黒毛和牛が現れます。
このフワッとした食感がたまりません。
1,000円台前半で、ココまでたっぷりの黒毛和牛駅弁をいただくことなど、まず出来ないもの。
この食材へのこだわりなど、次回以降、伺ってまいります。

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