マイケル・ジャクソン「マイケル・タイフーン」と呼ばれたソロ初来日コンサート

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当コラムの日付となる9月13日は、マイケル・ジャクソンが来日2日目となるライヴを後楽園球場で行った日となる。ここでは初日の模様を振り返ってみたい。

初ソロ来日。

マイケル・ジャクソンがクインシー・ジョーンズ・プロデュースの3作目『バッド(BAD)』を1987年8月末にリリースし、それを受けてスタートした「バッド・ワールド・ツアー」。その初日は今は亡き日本の東京・後楽園球場。同年9月12日、ついにマイケルが後楽園球場に姿を現した。

その時のライヴの始まりについて僕はこう書いた。

~~あたりが闇に包まれ、球場の照明塔が消えるとその瞬間ワァーという歓声が巻き起こる。ドドドという地響きが起こり始め、ステージ中央から強烈な照明が観客席を照らす。目をあけられないほどのまぶしさ。あの『未知との遭遇』のエンディングを思わせるような光だ。そして、そこに5人のシルエットが舞台下から徐々に上がりだしてくる。マイケルは舞台の右でもなく左でもなく後ろでもなく下から上がってきたのだ。劇的な登場だ。ついにあのマイケル・ジャクソンが我々の前に登場したのである~~(「マイケル・ジャクソン・イン・ジャパン」(1987年10月日本テレビ刊)

これを読むと僕もちょうど30年前のあの初日の夜のことを思い出す。あの光の向うから「ウォナ・ビー・スターティン・サムシン」のイントロが流れてきたときの興奮と言ったらなかった。

その時のインタヴューで当時のマネージャーですでに故人となったフランク・ディレオは「彼(マイケル)は日本からツアーを始められてとてもハッピーだ。というのは日本のファンはかねてからとても熱心でロイヤルだから、こここそツアーを始めるベストの場所だと思っていた。マイケルは1973年以来日本には来ていなかったので、より日本のことを知りたかった。我々としては、このアルバム『バッド(BAD)』からあらゆる曲をシングル・カットしたいと思っている」と語った。

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マイケル・タイフーン。

マイケルの来日は、このコンサート自体だけでなく、オフ時に彼が行く場所、店などが話題になり、マイケルの行く先々で大変な人だかりができ、その来日は「マイケル・タイフーン(マイケル台風)」呼ばれた。

後楽園などの他、全14回の公演は売切れ、40万人超を動員。そしてワールド・ツアー(全米、ヨーロッパなど)を回り、翌1988年12月、マイケルは再び日本に戻り、完成したばかりの東京ドームで9回公演を行った。

初来日のライヴ評は次のように締めくくった。

~~拍手が続く。しばらくの間があり、いよいよアンコールだ。3台のビデオ・プロジェクターに「スリラー」の文字が忽然と現われ、再び大歓声。あの「スリラー」だ。照明もどこか怖そうな本当に「スリラー」にぴったりの照明だ。さらに曲の間奏部分からはダンサーがあのお化け風になって登場。すっかりおなじみになった「スリラー・ダンス」を披露するや、大喝采だ。そして、アルバム『BAD』から「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」「BAD」とやって100分近い世紀の一大エンタテインメント・ショウは幕を閉じる。そして、誰もがこのショウを見た後は言葉を失うのである~~

マイケル・ジャクソンのこのときの日本ツアーは1987年10月12日大阪球場で幕を下ろした。

【著者】吉岡正晴(よしおか・まさはる):音楽ジャーナリスト、DJ。ソウル・ミュージックの情報を発信しているウェッブ『ソウル・サーチン』、同名イヴェント運営。1970年代には六本木「エンバシー」などでDJ。ディスコ、ブラック・ミュージック全般に詳しい。ラジオ番組出演、構成選曲、雑誌・新聞などに寄稿。翻訳本に『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』(デイヴィッド・リッツ著)、『マイケル・ジャクソン全記録』など。自著『ソウル・サーチン R&Bの心を求めて』など。毎月第二火曜夜9時東京のインターFM(89.7mhz)で『ソウル・サーチン・レイディオ』、毎月第一木曜夜10時『ナイト・サーチン』(ミュージックバード)を生放送中。最新情報は、ツイッターで。
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