全日本女子・中田久美監督「選手への伝達はすべてメール」その理由とは?

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中田久美

国内での初陣へ向け抱負を述べる中田久美監督=2017年7月13日、仙台市 写真提供:産経新聞社

4年に1度開催される、バレーボールのワールドグランドチャンピオンズカップが昨日5日、開幕しました。日本は韓国をストレートで下し、幸先の良いスタートを切っています。しかし、中田監督は、

「あまり内容は良くない。ストレートで勝つことができて良かった」

と厳しい表情で話しています。というのは今大会、各大陸のトップが出場。アジア=中国、欧州=ロシア、北中米=米国、南米=ブラジルは、開催国で出場した世界ランキング6位の日本よりも強い。開幕戦で対戦した主催者推薦の韓国が唯一、日本よりランキングが下の10位。今日からが正念場というわけです。

昨年10月、代表史上2人目の女性監督となった中田さん。事あるごとに、

「2020年。伝説のチームをつくる。命賭けです。再び、64年の東京と同じ色のメダルを獲る。それが義務です」

と語っています。中学3年の15歳で、史上最年少で代表入りを果たし、これまた史上初めて、3度のオリンピックへ出場。84年、ロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得しました。
しかし、バレーボール界では、「史上最低の銅メダル」と酷評されました。金メダル以外は価値がないという当時の位置づけだったのです。それだけに、20年の東京では、金メダル奪取を訴え続ける。

「試合はすべて勝つのが当然。負けていい試合などありません」

と頼もしい。困難に打ち勝ってきたからこそ、言葉に重みと迫力がある。現役時代、最大のピンチは86年の右ひざ前十字靭帯断裂でした。「私の人生は終わった」と感じるほどの試練。引退も考えますが、厳しいリハビリの中で、「どうやったら、人を活かして再び、コートへ立てるのか」。自問自答の日々だったそうです。

92年に1度、現役を引退しますが、95年に復帰し再び、引退。その後は、バレーボール関連の仕事に加えて、タレント活動も同時進行しますが、08年から2年間、イタリアのプロリーグへコーチ留学しました。

「8、9時間のバス移動は当たり前。早朝に到着し、すぐに選手は練習をします。選手は全員、プロ。それが当たり前の姿です。いかに自分たちが甘かったのか、衝撃を受けた」

と振り返っている。帰国後は久光製薬でコーチを経て、監督へ就任。5冠達成など、名将への道を歩んでいます。

私たちが抱くイメージでは、とても怖い人。でも、実際は違いました。

「女子は言葉にすると、露骨に嫌がる。そのあたりが難しい」。

今回、チームを編成するうえで、岩坂をキャプテンに指名した時も、

「あなたがキャプテンと、メールで送信しました」

と言います。一方で、

「代表は育成するチームではありません」

と、右ひざを故障して、万全ではないエースの古賀を落選させるなど、思い切りの良さもこれまでの男性監督にはなかったことでしょう。

指導はデータに基づき、極めて科学的。女子初の外国人コーチ、トルコ人のアクバシュさんと、いかに勝てるチームにするかに取り組んでいます。2時間以上も連続で、ボールをつなぐ練習を行うなど、これまでの常識では考えられない練習メニューを導入しています。

「負けたからといって、泣いているヒマなどありません。世間の目は厳しい。選手にはよく覚えておくように、とアドバイスしている。私はいいお母さんになれる。選手は子どもですよ」。

どっしりと構えていました。

今回のワールドグランドチャンピオンズカップ、どこまで戦えるのでしょうか。

9月6日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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