新人女性記者が学生時代に岩手で体験した東日本大震災

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【新人記者あいばゆうなの取材記】

9月1日。東京消防庁丸の内消防署が主催する防災週間に伴う防災訓練を取材しました。実施された防災訓練は丸の内での“医療連携訓練”と大手町での“消防演習”の2つで、消防隊員など合わせておよそ200人が参加しました。ともに東京で強い地震があったという想定のもと、それぞれの訓練が行われました。

午前7時40分から行われた医療連携訓練では、地震を受けて丸の内ビルディングの中で怪我をしたという設定の10人が、まず行幸通りに設置された東京消防庁のオレンジ色のテントの中に入りました。その後テントでは一度に多くのけが人が出た場合に、緊急度や重要度に応じて治療の優先順位を決める、トリアージが行われました。

トリアージでは、患者一人一人につけられたトリアージ・タッグに隊員が氏名や年齢、症状などを記入していきます。タグの下の方には緑、黄、赤、黒の四色のタグがついていて、赤のタグがつけられた3人がその後、特殊救急車、スーパーアンビュランスに搬送されました。

クイックアタッカー

クイックアタッカー ニッポン放送新人記者 あいばゆうな

その後午前9時50分から行われた消防訓練は、地震の影響で火災が起きたという想定で行われました。初期消化ということで、ポンプ車一台やクイックアタッカーと呼ばれる、災害時に車両が入れない場所に入ることのできるバイク二台などが駆けつけ、一斉放水が行われました。放水の勢いは非常に強く、大きな白い水しぶきが上がっていました。

放水

訓練および放水の様子 ニッポン放送新人記者 あいばゆうな

また先月には消防博物館で実際に地震体験機に乗り、直下型のほか、さまざまな過去の大地震を体験してきました。中でも東日本大震災の揺れは、高校生の時に地元岩手で経験した、いつまでたっても収まらなかった長い揺れと同じもので、その時の記憶が蘇るようでした。

当時の私は高校2年生。3階の教室で模試を受けていました。窓際の席に座っていた私は、窓が今にも割れそうな、これまで聞いたことのない大きな音を立てるのを聞き、窓が割れたら破片が落ちてくると感じて、揺れ始めてすぐ机の下に入ったことを覚えています。教室全体で机そのものが横滑りするような揺れだったため、机に潜るだけではしのげないと思いつつも、それ以外に防ぐ方法もなく、心許ない細い机の脚を必死に握っていました。あまりに長い地震だったため、揺れが収まってもしばらく揺れているような気がしてしまい、その後も揺れに関して非常に過敏になっていました。

地震対策への意識は震災当初よりもずっと低くなっているのではないかと感じます。防災の日をきっかけに、常備食の期限の見直しをしたり、家具の転倒防止をしたりするなど、何か1つでも行動を起こす1日になればと思います。

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