車いす生活をしていたある日、職場での運命的な出会いから始まった-櫻井杏理(プロ車いすフェンシング選手)インタビュー(1)

ニッポンチャレンジドアスリート・櫻井杏理(プロ車いすフェンシング選手)インタビュー(1)】

障がい者アスリート(チャレンジドアスリート)、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

13227202_1000808456668780_6480402430278147183_n

櫻井杏理(さくらいあんり)
1988年11月15日、京都市生まれ。椎間板ヘルニアが悪化し、20歳のときから車いす生活に。アウトドア洋品店でアルバイト中に競技関係者にスカウトされる。2014年10月から車いすフェンシングを始め、日本のナショナルチーム入り。短期間で飛躍的な成長を見せ、2020年・東京パラリンピック代表候補として注目されている。

―小学生の頃から陸上を始め、長距離を走っていたという櫻井、高校卒業まで続けていたが、二十歳に時、車いす生活に。その原因は?

櫻井 もともと椎間板ヘルニアを患っていまして、当時医薬療法士になるための養成校に在籍しました。そのときの実習に参加するにあたって症状が良くないので、手術することで改善するしかないという選択をしたのですが、結果的にその手術がうまくいかなくて障がいが残ってしましました。障がいを負ってからもスポーツをやりたいという気持ちはありましたけど、座っていることさえままならない状況で、入院生活自体が二年に及んでいて、その状態からスポーツに取り組むという段階に移るのには時間がかかりました。

―障がいを負ってから3年ほどして櫻井はスポーツを再開した。はじめはどんな競技に取り組んだのだろうか。

櫻井 基本的に、夏はサーフィンで冬はチェアスキーをやっていました。湘南では障がい者にサーフィンをする機会を設けるということで、かなり多くのボランティアの方が集まられてやっていました。私の場合は手探りの状況で、職場がアウトドアースポーツのブランドでスタッフにサーファーはたくさんいたのですが、その方々も手探りの状態でした。みんなは健常で、一緒に海に行って、どうにかして波に乗せるという感じでした。

―サーフィンもチェアスキーも楽しいが、オールシーズンでできる競技を探していたある日、運命的な出会いがあった。

櫻井 いつもどおりに接客していたお客さんへの対応が終わった時に日本車いすフェンシング協会の事務局長の原田さんが来店されていて、すぐ、私のそばに来られて「何かスポーツされていますか」と声をかけていただきました。ちょうど障がい者スポーツという世界で何かをやりたいと思っていたところだったので、その時にいただいた「練習に来てみませんか」という一声にそのまま身を委ねました。

(2016年5月23日~5月27日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。