脳梗塞を患い、生きる希望をなくし、自暴自棄になっていた小山を助けた同級性の千羽鶴と手紙-小山恭輔選手(パラ水泳日本代表)インタビュー

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ニッポンチャレンジドアスリート・小山恭輔選手(パラ水泳日本代表)インタビュー(1)】

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小山恭輔(おやまきょうすけ)
1987年12月26日東京・東久留米市生まれ。中2のときに脳­梗塞となり、右半身に機能障がいが残る。リハビリで水泳を始め、高校から本格­的に競技生活をスタート。たちまち頭角を現し、パラリンピック出場を果たす。50­mバタフライで北京では銀、ロンドンでは銅メダルを獲得。今年のリオ大会で金メダル獲得を目指す。

 

-もともと小さい頃から本格的に水泳をやっていた小山、ところが中学二年の時、突然、体に異変が起こる。脳梗塞だった。
小山 まず最初に救急車で搬送された時は、右手と右足のマヒはなくて、普通に歩けるようになっていたのですが、友達がお見舞いに来てくれた時に具合が急に悪くなってまた倒れてしまって、検査したら脳梗塞ということでした。

-一時は生死の境をさまよったが何とか一命を取り止めた小山、しかし右半身はまったく動かなくなってしまった。
小山 運動は、その当時水泳とバスケットボールが大好きで両方ともやっていたのですが、倒れてしまって右半身が動かなくなってしまったので飛び跳ねることもできませんし、もう、生きていてもしょうがないなと思ってしまいました。

-自暴自棄になっていた小山を救ったのは中学の同級生たちが折ってくれた3クラス分の千羽鶴と小山がいないと寂しいという手紙だった。復学しようという気力を取り戻した小山はリハビリに取り組み始める。
小山 自分がどういうリハビリをしたらいいかなという話をしたら、もともと選手コースで入っていた東久留米スイミングクラブというプールなんですが、そこのプールの先生方が「戻ってきなよ」と言ってくださって戻りました。
水に浮ける、ということが楽しかったということしか覚えていないのですが、後になってコーチたちに聞いてみるとみなさん、大変だったみたいでした。
その当時は建物がバリアフリーではなかったので段差があったら後ろから手を添えてくださったり、助けてくださったり。

-しかし、小山の右半身は全く動かない状態どうやって泳いでいたのだろう。
小山 最初はタイムとかは関係なく、浮輪につかまって浮くということから始めました。

(2016年5月16日~5月20日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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