シドニーオリンピックで金メダルを獲得できた理由とは-高橋尚子(スポーツキャスター、マラソン解説者)インタビュー

ニッポンチャレンジドアスリート・高橋尚子(スポーツキャスター、マラソン解説者)インタビュー(1)】

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―16年前、シドニーオリンピック、当時はどんな気持ちでしたか

高橋 オリンピックというと4年に一度の祭典ですごい大変だと思っている選手も多いですし、現場に行くとやはりそれだけの場所ではあるのですが、指導と受けていた小出監督がオリンピックに行く3年~4年前から「Qちゃん、ちょっとオリンピック行こう」とまるで近くの公園に行くような感じでオリンピックのことを言うので、オリンピックって自分の中ではすごいところなんだという気持ちがなかったんです。
なので実際に行ってみると意外に普通だなという感じで緊張はしなかったです。

-小出監督は意識させないようにそう言ったのですね。

高橋 それはあったと思います。実は97年に初めて世界陸上5000メートルで行った時は、スタートラインでガチガチに緊張をしていたのですね。
もう全然動けなくてそのまま立っていたら、観客席から小出監督が「高橋、動け―! 体動かせ!」と叫ぶのですが、「無理です。絶対に無理です」って思ってそのまま棒立ちでした。

その後の3年間の間に、何があったのかというと、オリンピックを特別なものと思わなかったこともそうなんですけれど、自分の力以上を期待しなかったことですね。
例えば、その世界陸上の時はメダルをとるような力がなかったのに、走ってメダル取れてしまったらどうしようとか頑張ったら入賞できるかもしれないというような、高い望みを持つと緊張します。
その日だけではなくていつもと同じ自分でいいんだとだから今日頑張ろうと思うようになりました。

-われわれもそれぞれの仕事の中で大一番みたいな日があるわけじゃないですか。そういう時にも共通しますね。普段以上のことをやるとだめだという。

高橋 いつも通りにやれば、いつもの力は出るからその力でオリンピックに勝てる能力ついているから大丈夫くらいの自信はありました。
そうすると何があるかというと…オリンピックで金メダルを取れました。その日みんなで喜び合いました。
そしてテレビ局回りをしていました。
帰ってくると夜の2時くらいだったんです。
小出監督と一杯のカップラーメンを分けて食べてそのまま寝ました(笑)。

次の朝練が毎日6時半からだったんですけれども、6時15分くらいに飛び起きたんですよ。
遅刻した!
急いで行かなければと思って現場に行ったら、誰もいなかったんですね。
その時はじめてオリンピックが終わったことに気付いたくらい普段どおりになりきっていて特別な日ではなかったのです。

-とはいえ、終わってみて日本に帰ってきたらえらいことになっていたわけですよね。国民栄誉賞ですよ、女子スポーツ界初の。

高橋 日本に帰ってきたら状況が全く変わっていて、そこで初めてびっくりしました。国民栄誉賞を最年少でいただいたんですね。
その重みをわかっていなかったのかもしれません。
評価をしていただいたことはとてもうれしいなと思いましたけれども、やはり国民栄誉賞だからこそ「こういう選手にならなければならない」だったり「国民栄誉賞だからこういう人にならなければならない」というような、今はなんだかその言葉に私が支えられているところがあると思います。
だからこそこの先時間をかけて賞にふさわしい人になっていきたいという思いはあります。

(5月9日~5月13日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。