「健さんと同じ空気が吸えたと思うと、感無量でした」エキストラに魅せられた57歳 「あけの語りびと」(朗読公開)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』

「いろんな人生が経験できるんですよねぇ、だからやめられませんねぇ……」

きょうは、エキストラに魅せられた57歳の男性をご紹介します。
青梅市にお住いの、宿谷一生(しゅくやかずお)さん。

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ぽっちゃりとした顔とマンガが大好きだったことから、中学時代のあだ名は、「ムーミン」。
子供の頃から「漫画家」になる夢を持っていました。

実家は自動車の修理工場。
職人気質の父親に「マンガで、メシが食えるか!」と一喝され、若いころ家を飛び出したこともありました。

「自分もおやじになって、父の苦労が分かるようになりました」

と照れる宿谷さん。現在は自動車保険の代理店をされています。

保険の仕事は、信頼関係が大事。
お客さんから電話があれば、朝でも夜でも休日でも駆けつけるお仕事だそうです。

さらに、お客さんといい関係をつなぐために月に一度、手作り新聞「しゅくや通信」を発行しています。

しゅくや通信17 

可愛いイラストと楽しい話題がお客さんに好評です。

喜ばれるともっと面白い話題を!
サービス精神旺盛な宿谷さんは時間を見つけてはあっちこっちのイベントに参加。
その一つがエキストラでした。

エキストラで初めて出演した映画が「20世紀少年」。
原作・浦沢直樹さんの大ファンという事もあって通行人でもいいから出てみたい。
「エキストラ募集」のサイトに申し込むと、なんと刑事役に!
撮影シーンは警察署の会議室。
若い刑事役の藤木直人さんが居眠りしているのを、署長役の石丸謙二郎さんが「蝶野刑事!」と怒鳴ります。
その後ろで同僚役の宿谷さんが「またかよ」と呆れ顔……。

映画館で一緒に観ていた奥さんが耳元でこう、ささやきます。
「あなた、下手糞〜! 素人丸出し!」

そんな酷評にも宿谷さん、全くめげませんでした。
それどころか、スクリーンに映った自分を見て「これだ!」と快感が走りました。
「ムーミン!」と呼ばれていた中学時代……、クラスの人気者じゃないけれど、目立ちたいという性格。
「もしかすると、エキストラに向いているかも」と思ったんです。

エキストラは「短気じゃダメ」だそうです。
朝7時に集合し昼が過ぎ夜中になって「きょうは、撮影ありません!」ということも、しばしば。
のんびり屋で人のいい宿谷さんには、エキストラに打ってつけ。
さらに、エキストラをやってよかったなぁと思うのは、50歳を過ぎて気の合う仲間がたくさん出来たことでした。
待ち時間にエキストラ同士。
(元気だった?)
(あの映画、出た?)
(首から下しか映っていなかったよ!)
そんな会話に花が咲きます。

この10年で刑事・侍・教師・ゾンビ・死体などを演じました。

忘れられない役は、刑務所の受刑者でした。
現場に集まったエキストラ150人は、みんな丸刈り!
なんで、そこまで?
「高倉健さんと共演できるから」でした。

撮影は刑務所に童謡歌手が慰問に来るというシーンで、田中裕子さんが宮沢賢治の「星めぐりの歌」を歌います。

「みなさん!歌を聴きながら、泣いてください。それから絶対に、後ろを振り向かないでくださいね、いいですか。」

スタッフに念を押されて、宿谷さんピンと来ました。

「高倉健さんが、いるんだ!」

そう思うと演技に熱が入りました。

「カット!」

撮影が終了し、涙をぬぐいながら恐る恐る振り返ると、健さんの姿はもうありませんでした。

高倉健主演映画「あなたへ」。宿谷さんは、奥さんと観に行きました。

映画が終わり、涙ぐむ奥さんが「でも、あなた、出てた?」と聞きました。
一瞬でしたが、確かに、健さんが自分の後ろにいた!
「健さんと同じ空気が吸えた」と思うと、感無量でした。

「エキストラは、空気みたいな存在。その空気の中で、主役の健さんに、演じてもらった……。それが嬉しい」
という宿谷さん。

この夏の新作映画にも、ちょっとムーミンに似た宿谷さんがエキストラとしてどこかに出演しています。

2016年5月11日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より

朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ