清水久嗣のB.LEAGUEレポート!ザ・プロフェッショナルバスケットボールプレイヤー横浜ビー・コルセアーズ川村卓也選手その①

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男子プロバスケットボールリーグ・Bリーグ。
数多くの選手がいる中で
「オフェンスマシーン」
「破天荒Bリーガー」
「史上初の高卒プロ選手」
「入りだしたら止まらないクラッチシューター」…etc.
ひとりでこれだけの肩書を持つ選手はそういません。

今回お話を伺ったのはBリーグ開幕と共に横浜ビー・コルセアーズに移籍しチームを引っ張り、ブースターからも熱烈な支持を受ける川村卓也選手です。

横浜ビー・コルセアーズ@680px (2)

川村選手1(w680)

©B-CORSAIRS/T.Osawa

沢山のニックネームがつけられている川村卓也選手ですが、実況・インタビューをした私が思ったのは「ザ・プロフェッショナル」
3ポイントシュートなどで得点を重ね、攻撃の核となることはもちろん。川村選手のコート内外における言動や表情、アクションは見ていて飽きることはなく、まるでドラマや漫画に出てくるキャラクターのようです。
これだけの存在感を受け止め、そしてさらに発揮させてくれるのが熱心な“ビーコルブースター”の存在。ブースターについて川村選手は「あれだけ広い横浜国際プール。しかも結構遠い2階席から、皆さんの声がコート全体まで届いている状況はモチベーションを上げてもらったし、声援に救われたゲームが何度もありました。過去にビーコルのファンがベストブースター賞をもらったのも(TKbjリーグ時代の昨季に受賞)わかるなぁと感じました。」とその力を実感しています。

このコーナーで横浜・竹田選手にも伺った1月3日の京都戦。横浜が69-64とリードして迎えた第4クオーター残り37秒に京都の岡田優介選手が3本のフリースローを獲得。フリースローが得意な岡田選手であれば3本の全てを決めてもおかしくありません。
そこでフリースローを構える岡田選手に対し、ブースターからは耳をつんざく、横浜国際プールが揺れるようなブーイングが浴びせられたのです。岡田選手はフリースローをなんと3本とも外し、流れを渡さなかった横浜ビー・コルセアーズは勝利を収めるのですが、何を隠そうブースターの“あのブーイング”をあおった張本人がコートにいた川村選手でした。
「ブースターを煽ることはたまにやりますけど、終盤で選手と会場が一体になれるタイミングが来て、あの時こそバスケットボールの試合を見に来ている醍醐味を味わえる場面かなと思ったので(アクションを起こしました)。相手はベストシューターですからね。フリースローを3つも外させたのは本当に選手と会場がひとつになった結果じゃないですかね。」

あの試合は4得点に終わった川村選手でしたが、ブースターのブーイングを“アシスト”しチームの勝利に貢献したことは間違いありません。
ゲームの詳細・ハイライトはこちら→https://b-corsairs.com/game/?YMD=20170103&TAB=R

川村選手2(w680)

©B-CORSAIRS/T.Osawa

“決めて欲しいときに決めてくれる”のが川村選手。バスケットボールで最も盛り上がるシーンのひとつに“ブザービーター”があります。制限時間ぎりぎりに決めるシュートのことで、特に試合終了ぎりぎりに決めてチームを勝利に導くブザービーターは、野球のサヨナラホームランのように、時にセンセーショナルなプレーになります。

私が個人的に今年のBリーグにおけるベストブザービーターだと思っているのは2月4日の千葉ジェッツ戦。
残り2秒で千葉・富樫選手に3ポイントシュートを決められ追いつかれた横浜ビー・コルセアーズでしたが。しかし残し1.7秒のリスタートからボールはゴール脇に飛び出してきた川村選手のもとへ。千葉の2人のブロックよりも速く、高く飛んで放たれたボールは試合終了のブザーと同時にネットへ吸い込まれ勝負あり。見事、千葉ジェッツを破りました。

あの時を振り返った川村選手は「僕らは負けられない戦いが続いていて、どうしても勝ちたかった。ましてやオールジャパン(天皇杯)優勝で波に乗っている千葉に対して良いゲームをできていたので、勝って勢いに乗りたかった。ああいう(ブザービーターの)シュートはあくまで1本のシュートなんですけど、自分が“このチームに来て勝ちたい”という思いと、“千葉に勝てるかもしれない”という皆の気合いといろんな思いが一つのボールにのって入ってくれたシュートだと思います。もちろんパスもフォーメーションも良かったし、チームが自分に託してくれたのも嬉しかったし、みんなの想いが詰まった1本だったのかなって思います。ただ、決まったからこういう風に言えるのであって、決まってなかったら別物です。」

まさにみんなで決めた1本のシュート。決まった瞬間、チームメイト全員からもみくちゃにされる川村選手、全員総立ちで歓喜に沸くアリーナ。素晴らしい光景が横浜国際プールにありました。

ゲームの詳細・ハイライトはこちら→https://b-corsairs.com/game/?YMD=20170204&TAB=R

川村選手3(w680)

©B-CORSAIRS/T.Osawa

技術や言動はもちろん、シュートを決めて欲しいときに決めてくれるスター性を持った川村選手。そのルーツはどこなのでしょうか。
バスケットボールとの出会い、そして“高校卒業選手として初めてプロプレイヤー”となったいきさつについてもお話を伺いました。

バスケットボールとの出会いは仙台。小学校4年生のころでした。
「もともと住んでいた地域で行われている小規模のソフトボールをやっていました。でも、だんだんやる子が減ってきて“他の小学校にミニバスケットボールのチームがあるらしいよ”っていうことで『ちょっと行ってみようかなあ』と。両親も兄もバスケットボールをやっていたので、抵抗はなかったですね。」

そして「輪の中にボールを入れること」にシンプルな面白さに惹かれていったという川村少年は更に「どれだけ遠くから入るようになるかなぁ」と子供ながらに色々な楽しみを見つけるようになり、「中学・高校になると勝ち負けに更にこだわるようになった」と楽しさから勝負への意識に目覚めます。
そのきっかけは県の選抜として出場した初めての全国大会(ジュニアオールスター)でした。
「初めて全国の選手たちを見て『すげー奴がいっぱいいるんだな』って。少しでも強い高校に行って全国大会に出て『いろんな選手と戦いたい』と思って、自分の夢もステップアップしてきて、高1・2・3の全国大会の成績のレベルアップにもつながったのかなあと思います。」

盛岡南高校では1年生の時から全国大会に出場。非凡な才能はあっという間に全国に知れ渡り、3年生ではベスト8入りを果たしました。そんな川村選手に熱い視線を送っていたのは当時JBLスーパーリーグ・実業団チームOSGフェニックス(現・三遠ネオフェニックス)のヘッドコーチだった“闘将”中村和雄さん。盛岡南高校の金子力監督とは古くからの縁があり、全国大会前に決まって高校を訪れてはチームの状況を見に来てくれていたそう。
そんな時、中村さんは川村選手に「お前はどうせ大学に行っても勉強しないんだから卒業したらウチ(OSG)に来たらいいのに」と声をかけた冗談から、川村選手の運命は加速していきます。

「高校2年生くらいの時でしたね。全く意識していなかった自分に新しい選択肢を与えてくれたきっかけでした。確かに僕は学業が得意ではなかったし、バスケット1本で自分が成り立っていると思ったので、その声は自分に前向きな考えを持たせてくれる一言でしたね。」
当時でも今でも、トップのバスケットボールプレイヤーは高校→大学での活躍を経てステップアップしていくことがほとんど。しかし当時としては前例のない高校卒業→プロ入りだからこそ川村選手の心は傾きます。
「とにかくやってみたかった。チャンスがあるならトライしてみたいという気持ちでした。大学を飛び越えてプレーが通用するか、しないかはわかりませんでしたから。」ジャンプアップしたい気持ちとは裏腹に「周りは、ほぼ反対でしたね。」という声もあったようですが川村選手の意思は固く、かくして“史上初の高卒プロバスケットボール選手・19歳 川村卓也”が誕生したのです。

川村選手4(w680)

©B-CORSAIRS/T.Osawa

OSGフェニックスに入団後は05-06のルーキーシーズンに新人王を獲得。
06-07シーズンは全日本選手権とスーパーリーグで史上最年少のベスト5に選ばれます。
さらにJBLのリンク栃木ブレックス(現・栃木ブレックス)に移籍。
08-09シーズンは日本人選手として24年ぶりに得点王に輝き、09-10シーズンはチームの初優勝に貢献。プレーオフでも土壇場で追いつくブザービーターの3ポイントシュートを決めました。

多くのシーズンでタイトルを獲得し、ついに日本代表入り。さらに米NBAにも挑戦。
帰国後は和歌山・名古屋を経て、Bリーグ開幕時に合わせて新天地・横浜ビー・コルセアーズに移籍します。これだけの経験とチームを渡り歩いてきた川村卓也選手ですが、移籍を後押ししたものは何だったのでしょうか。

「過去に同じチームで戦った仲間(#25竹田謙選手、#13山田謙治選手は栃木時代のチームメイト)だったり、蒲谷さん(#3 蒲谷正之選手・元キャプテン)の存在やチームのバランスを見て、自分がチャンスを引っ張って来れるかなと思った」という川村選手。さらに後押しとなったものはベテラン・竹田謙選手の復帰だったそうです。
「僕がチームを決めようとしている時、オフシーズンにタケさんが復帰するかもしれないっていう話を伺っていました。タケさんに関しては今まで僕が一緒にプレーした中で“ベストシックスマン”だと思っているんです。そういう仲間がいたら心強いと思ったし。何か感じるものがあったんでしょうね。」

シックスマンとはベンチメンバーでありながらチームの流れを変える大事な選手のこと。
竹田選手の現役復帰についてのエピソードは過去のBリーグレポートをご覧ください。

自分が生きる、生かせるチームはどこか。探し求めるうち、最後に川村選手を後押ししたものはこれまでのバスケット人生で出会ってきた選手と選手、人と人の縁でした。
こうして、かつてのJBL優勝や日本代表を知るビッグネームが加入する“サプライズ補強”で横浜ビー・コルセアーズはBリーグ開幕の船出を迎えました。

アリーナ1(w680)

開幕シーズンのBリーグもいよいよ残りあとわずか。
5月3日(水・祝)にはホーム最終戦となる三遠ネオフェニックス戦が横浜文化体育館で行われます。
川村選手は“プロ入りした最初のチーム”を相手に恩返しのプレーを見せることができるかどうか?注目です。

横浜ビー・コルセアーズ vs 三遠ネオフェニックス
開催日:5/3(水・祝)14時~、
会場:横浜文化体育館(JR京浜東北線「関内」駅より徒歩5分、横浜市営地下鉄「伊勢佐木長者」駅より徒歩5分)

チケット:https://b-corsairs.com/ticket/
横浜ビー・コルセアーズ:https://b-corsairs.com/
Twitter:https://twitter.com/b_corsairs
Facebook:https://www.facebook.com/YokohamaBcorsairs/

次回は4月28日(金)の更新予定。
引き続き横浜ビー・コルセアーズの川村卓也選手に会場を魅了するプレーの原点とは?その流儀を伺います。

後編【清水久嗣のB.LEAGUEレポート!Bリーグのエンターテイナー!その流儀とは?横浜ビー・コルセアーズ川村卓也選手その②】はこちら>

(清水久嗣)

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