本日5月11日は、泉谷しげる67歳の誕生日 【大人のMusic Calendar】

今日は泉谷しげるの誕生日だそうである。でもその場の全員で声を合わせての♪ハッピ-バ-スデ-・ツ-・ユ-♪なんていう、そんなおためごかしなことを素直に喜ぶ感じじゃないのがこのヒトの魅力なのである。そしてワタシは、このヒトのそんなところも含め、非常に影響を受けたのだった。もちろん吉田拓郎とともに。ともかくあの頃は、タクロウ・イズミヤで暮らしていたわけだ。ちなみにイズミヤ・タクロウという順番では言わなかった。これだとなんか“泉谷拓郎”という、化粧品会社で営業部長でもしてそうな人物にも響いたからである。

まず吉田拓郎は圧倒的すぎて、まさに“ひとりビ-トルズ”だった。一方の泉谷は“ひとりスト-ンズ”と、まぁそんな書き方も出来るけど、比較というのはそもそも曖昧なものなのである。先日、コブクロの二人に取材で会ったのだが、小柄に見えるほうのヒトは、実は日本人男子の平均身長となんら遜色ないのである。もうひとりのヒトが、平均より相当タッパがある、というだけのことなのだ。このように比較というのは、“何に何を較べるのか”で様相を異にする、実に曖昧なものなのだということを肝に銘じておくべきだろう。

イズミヤが特別だったのは、彼には漫画家としての才能もあったからだ。フォ-ク・シンガ-であり漫画家にもなれたのかもしれない…。子供の頃の二大憧れ要素を有していたのがこのヒトだった。そのイズミヤが漫画専門誌に投稿したという『突然男』だったか、そういうタイトルの作品(の一部)を見たことがあった。なんか面白そうだった(うろ覚えですみません。調べればいいことだけど、うろ覚えという脳の状態も、これはこれで味わい深いわけであり、ぼくは最近、そんな“放置プレイ”にも凝っている。あ、『突然男』じゃなくて『突然児』ね……、って、なんだキミ、結局は不安になって、調べたんじゃな-い(笑))

このへんで、イズミヤに初めてインタビュ-した時のことを書いておこう。実は今回書きたかったのはこのことなのだった。あれは千駄ヶ谷のビクタ-のスタジオ。現在は改装されているが、当時は通りに面してラウンジというか喫茶店というか、そんな感じになっていて、奥にレッスン室のような小部屋が並んでいた。そのひとつが取材場所…。ワタシは緊張しまくってノックして、中へ入っていった。奥にイズミヤは、なんか不機嫌そうな顔で座っていた。

でもこっちはちゃんとその時の新譜の音源を何度も聴いて取材に臨んでいるわけだし、それが通じたのか、彼は徐々に心を開いていった、というか、もともと寡黙なヒトではないので、取材は大いに盛り上がったのだった。ほぼほぼ今回の目的である新譜に関する話がまとまりつつあった、そう、その時だった…。

「ところでキミは、どんなキッカケでこの仕事を始めたんだい?」。

あのイズミヤが僕なんかのことを気にかけてくれて、こんなことを言ったのだ。

「あのぼくは『ミュ-ジック・マガジン』ていう雑誌のバイトがきっかけでして…」

様相が一変した。

「なんだと-、『ミュ-ジック・マガジン』だぁ! 俺が苦労して作ったレコ-ドに※※点つけやがって!!!」

僕が持参したテ-プレコ-ダ-に、イズミヤはライタ-で火をつける仕草をしたのだ。極限まで焦った。しかし彼は満面の笑みだったので、すぐ冗談だと分かった。いやこの仕草こそは冗談だったけど、※※点をつけられたことに関しては終始納得していない様子だった。

「ぼくがつけたんじゃないですから、点は…」

こう返すのが精一杯だったけど、そういやあの雑誌は点をつける雑誌なのでした(まったく読んでないので最近の編集方針は不明ですが…)。いや、あらぬとばっちりを受けたものです。繰り返しますが、※※点つけたの、僕じゃないんですからねっ。

その後もイズミヤには何度か取材する機会があった。このヒトは基本的に正義感が強く人間味豊かだけど、間違っても「いいヒト」とは呼ばれないよう呼ばれないよう振る舞ってきた気がする。

そういやイズミヤが、「世界一美しいメロディを書くのはディランなんだ!」と言っていたことがあった。「世界一美しいけど、照れるからああいう唄い方なんだ」。この、歌いながら“照れてる”感覚は、彼自身にも充分に感じられることでもある。

久しぶりに彼の歌を聞いてみようか。たとえば「国旗はためく下に」とかはどうだろう…。聞いてみて勢いを貰って、でもそのあとのことは自分で考えよう。決して「歌からすべてを学ぶ」なんていうラクチンなことはせずに…。

【執筆者】小貫信昭

ミュージックカレンダー