あけの語りびと

3・11震災を越え親子二代無心にノミを握り続ける雄勝町の硯(すずり)職人「あけの語りびと」(朗読公開)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。
上柳昌彦あさぼらけ 『あけの語りびと』

小学生の頃、誰でも手にしたことがあるのに、最近は、手にするどころか目にすることさえ無くなってしまったもの。
そんな道具の一つに、硯(すずり)があります。
石偏に見ると書いて硯。私たちはこの漢字を覚える間もなく、あの長四角の文房具から遠ざかってしまったようです。

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遠藤弘行さん(写真提供:一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター)

宮城県石巻市の海に面した雄勝町(おがつちょう)の遠藤弘行さんは、63歳。
日本でも数少ない彫刻をほどこした硯に挑戦し続けている方です。
お父さんもお祖父さんも硯を手がけている職人さんでした。
けれども、遠藤さんにその後を継ぐ気は全くなく、神奈川県川崎市の広告会社に勤務。
レタリングの仕事に就いていました。
ところが、二十歳を越したころ、遠藤さんは初めて見てしまったのです。
“一点もの”と呼ばれる父親の硯を!

それは、実用品というより美術品としての風格と気品を持っていました。
遠藤さんの胸の中の何かに火がついたのは、この時でした。
「おやじ、俺もこんな硯を作って見たいんだ」
無論、許しはすぐには出ませんでした。遠藤さんは振り返ります。
「父親が作った硯に惚れた…と言うんでしょうか?とにかく、心がふるえました!」
ようやく弟子入りの許しが出たのが40年前、遠藤さんが24歳の時でした。

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(写真提供:一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター)

雄勝町の山々は、硯に適した石の埋蔵量が日本一。
国内生産の9割のシェアを誇っており、 その採掘の歴史は、600年前までさかのぼるといいます。
遠藤さんのお父さんもお祖父さんも、硯の石を切り出す仕事をするうちに、その美しさに魅せられて、自分で硯を作り始めた人でした。
赤ん坊のようにすべすべした地肌。しかしこれを顕微鏡で見てみると、鋒鋩(ほうぼう)と呼ばれるノコギリの歯のような目が連なっている。
これが墨をするときの引っかかりとなるわけです。
元々は、海の泥が固まった粘板岩ですから、アサリの化石が含まれていることもあり、大変に珍重されるそうです。

修行を終えた遠藤さんが、のれん分けを許されたのは25年前…。
石巻の防潮堤のそばに、住まい兼作業場を作り、夢中で硯を作り続けました。
そんな遠藤さんを襲ったのが、2011年3月11日の大震災と津波でした。

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(写真提供:一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター)

「店も住まいもそれまでの作品も彫刻のノミも、根こそぎ持っていかれました」
親子二代で作ってきたおよそ500点の硯、材料となる石も流されました。
言いようのない脱力感と絶望感…。雄勝を離れることも考えました。
けれども、ボランティアの人が近くのがれきの中から使い慣れたノミやお父さんの作品を見つけてくれました。
リタイアした職人さんは、自分のノミを10数本譲ってくれました。

「よぅし! ノミと石さえあれば、何とかなる!」
震災の3カ月後、簡素な小屋でノミを握り直した遠藤さん。
不思議だったのは、地元の人たちからの注文が舞い込み始めたことでした。

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(写真提供:一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター)

「腹の足しにもならない硯が、何で必要なのか?」
硯を受け取りに来た人にわけを尋ねると、
「震災被害の支援やボランティアに駆けつけてくれた人たちへの御礼に、どうしても雄勝の硯を贈りたいんだ」
これが、非常時の中で硯を求める人たちの答えでした。
全国から来てくれる書家、日本画家、水墨画の先生たちの励ましも嬉しいものでした。

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(写真提供:一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンター)

こうした声に支えられ、今日も6畳のスペースの作業場で、ノミを握り続ける遠藤弘行さん。
「実はこれまで、真から気に入った作品はないんです。人には絶対に譲れない非売品ができるまで、がんばります!」
遠藤さんの声が弾みました。

2017年4月5日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より

朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ

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