荒井由実~呉田軽穂、歌い手の隠れた魅力を引き出し続けるユーミンワールド!!

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歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)

最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。

4月23日(金)に始まった「松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD」
土曜深夜以来17年ぶりの復活で、月イチでユーミンの声がラジオから聴けるのは嬉しい限りです。
歌謡界に与えた影響と功績は計り知れませんが、作詞家・作曲家としてアイドルに数々の名曲を書き下ろしていることも忘れてはいけません。
今回は「ユーミンのアイドル仕事」について見ていきましょう。

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まずは1975年、「荒井由実」時代に、アグネス・チャンに書いた佳曲が『白いくつ下は似合わない』(作詞・作曲)です。
発売当時、アグネスは20歳になったばかりで、アイドル歌手からの脱皮を目指していました。
そこで、ニューミュージック界の旗手・ユーミンに白羽の矢が立ったわけですが、恋人を他の子に奪われた女の子が、涙にくれつつも「失くしたものなんて何もない」、なぜなら「白いくつ下はもう似合わない=私も強くなり、大人になったの」と宣言する歌詞は、従来のアイドルソングとは一線を画す世界観でした。

荒井由実時代のアイドル曲で、もう一つ注目すべき作品は、76年、三木聖子に書き下ろした『まちぶせ』(作詞・作曲)です。
これも、好きな男性に振り向いてもらえない女の子が「私は自分から言い寄ったりしないけれど、いつかきっと振り向かせてみせる」と決然と言い放つ内容で、ユーミンでなければ書けない詞です。

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三木聖子版はオリコン最高47位に終わりましたが、5年後の81年、この曲を石川ひとみがカバーすると大ヒット。
最高6位とベストテン入りを果たしました。
もちろん曲の良さもありますが、一歩先を行くユーミンの世界観に時代が追い付き、共感する女性が増えたのもリバイバルヒットした理由でしょう。

80年代に入ると、ユーミンは他人に曲を提供する際、「呉田軽穂」のペンネームを使うようになります。
大好きなハリウッド女優、グレタ・ガルボにあやかったものですが、この名前で松田聖子に書いた曲が、82年に発表された彼女の代表作『赤いスイートピー』作曲のみ)です。

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実はこれが松田聖子への初めての提供曲で、作詞の松本隆が“戦友”ユーミンに「ライバルに曲を書いてみない?」と依頼して、この名曲が誕生しました。

B面に収録された『制服』(作曲のみ)も卒業ソングの名作として名高いですが、ユーミン・松本・聖子トリオは、その後も『渚のバルコニー』『秘密の花園』『瞳はダイアモンド』『Rock'n Rouge』…と名曲を次々に発表。
84年『時間の国のアリス』が最後になりましたが、去年、三人は31年ぶりの新曲『永遠のもっと果てまで』をリリースし、話題を呼びました。

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ユーミンは、角川映画にも貢献しています。「角川三人娘」の一人・原田知世には、83年、松任谷由実名義で、映画『時をかける少女』の同名主題歌を書き下ろし(作詞・作曲)、可憐ではかない歌声にマッチしたこの曲は大ヒット。
ユーミン自身もお気に入りのようで、当時アルバムでセルフカバーしています。

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また薬師丸ひろ子には、84年公開『Wの悲劇』の主題歌『Woman "Wの悲劇”より』(作曲のみ、作詞は松本隆)を呉田軽穂名義で提供。
難解なコード進行で創り上げた壮大なバラードは、まさにユーミンが持てる才能をいかんなく発揮したもので、もはやアイドルソングの範疇を超えています。
一昨年の紅白歌合戦に特別出演した薬師丸ひろ子が、松任谷正隆の伴奏でこの曲を熱唱したのも記憶に新しいところです。

アイドル仕事だからといって決して手を抜かず、歌い手の隠れた魅力を引き出すと同時に、新たな世界観も提示したユーミン。
今回挙げた曲が、今も聴き継がれる曲ばかりなのは、そういう理由なのです。

“ユーミンが手掛けたアイドルソング”ここがポイント!
<すべて作曲のみ担当>
・手塚さとみ(=理美)…『ボビーに片想い』(79年)
・榊原郁恵 …『イエ!イエ!お嬢さん』(80年)
・山瀬まみ …『メロンのためいき』(86年・デビュー曲はユーミン!)

【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。

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