絶望の淵で見つけた車椅子バスケットボール-藤井新悟選手(車椅子バスケットボール)インタビュー

ニッポンチャレンジドアスリート・藤井新悟選手(車椅子バスケットボール)インタビュー(1)】

このコーナーは毎回ひとりの障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

img_0

藤井新悟(ふじいしんご)
秋田県出身。19歳の時事故で車椅子生活。その後、車椅子バスケットボールをはじめ、日本代表の主力として活躍。2004年、アテネ大会でパラリンピックに初出場。北京、ロンドン大会では代表のキャプテンを務め、リオでの4大会連続出場を決めた。宮城マックス所属。

-中学生の頃からバスケットボールをやっていた藤井、高校生の時はキャプテンを務め、卒業後、就職先でもバスケットボール部に所属、そのぐらいバスケ好きだったが、19歳の時、思わぬアクシデントが起こる。

藤井 スキーは、好きで小さいころからずっとやっておりました。ある日、会社の同僚たちとスキー場へみんなで行ったのですが、そこにここは滑ってはいけませんよ、というようなマニアックなコースがありました。故意に作られているジャンプ台があり、そこでジャンプしてバランスを崩して背中から落ちた。そのまま下半身の感覚がすぐになくなりまして、自分は雪の中に埋まっているんじゃないかと思うくらい、瞬間にみぞおちから下の感覚がなくなったという状況でした。

-診断の結果は脊髄損。もう、これからは歩くことができない。早く治して早くまたバスケがしたいと思っていた藤井にとっては、あまりにも非常な宣告だった。

藤井 その時の心境としてはもう、絶望以外の何物でもありませんでした。涙もしましたし、医者にもなんで医者なのに直せないんだと食ってかかりました。取り乱して、自分が悪いのに家族にも当たったりしてしまいました。

-そんなすさんだ状況だったが、リハビリのため、秋田から設備の整った仙台の病院へ転院した藤井はここで偶然、車椅子バスケットボールという競技の存在を知り、プレーすることに。

藤井 なぜ、そういった流れになったかと言いますと、僕が理学療法のリハビリをしている時にバスケットボールでパスをしていたんですけれども、それをたまたま見かけてくれて、バスケットボール経験者だねということを言われまして、一度見に来てみないかという誘いがありました。そこで入院中に外出届を出して、活動している体育館に見に行ったのがきっかけです。

-バスケットボール経験者だから簡単だろうと思っていた藤井だったが、いざやってみるとこれが意外に難しかった。

藤井 パスとか、そういったものはできたんですけれども、シュートに関してはやはり膝を使ってジャンプして打つものですからできない。同じ高さのゴールに車椅子に乗ってシュートを打つと、リングがものすごく高くて全然届きませんでした。車椅子の操作が日常の部分もで満足にできなかった自分ですから、どう腕を使って動かせば自分の動きたいところに行くか、ということもまだままならない状況でした。バスケットボール経験ということでは自信はあったのですけれども、まったく違うものだと感じました。

(4月18日~22日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。