1972/2/14オリコンチャートのトップに立ったのはペドロ&カプリシャス「別れの朝」だった【大人のMusic Calendar】

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別れの朝,ペドロ&カプリシャス

1972年(昭和47年)の本日2月14日オリコンチャートのトップに立ったのは、ペドロ&カプリシャスのファーストシングル「別れの朝」である。

69年暮れから70年初頭にかけて14週間オリコンチャート首位を独走した皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」がクールファイブにその座を譲ってから2年間、そこからの反動のごとくオリコン首位は所謂「アダルトコンテンポラリー」一色となった。それこそ藤圭子と小柳ルミ子が若手として健闘したくらいで、あとは叩き上げ期間が長かった森山加代子、由紀さおり、渚ゆう子、加藤登紀子、尾崎紀世彦、湯原昌幸といったメンツがずらりと並ぶ。「よこはま・たそがれ」で幸先いいスタートを切った五木ひろしでさえ、それ以前に3つの芸名でレコードを出しながら鳴かず飛ばずの日々が続いていた。今で言うアイドルヲタクに該当する方々は何にお金を使っていたのだという疑問が芽生えそうだが、今振り返れば中堅〜ベテラン組に属していた彼らの歌でさえ、当時のちびっ子達は平気で口ずさんでいたのである。幅広い層に訴えることがヒット曲の最大勝因だった時代だ。
72年を迎え、まず1位に飛び込んできたのが平田隆夫とセルスターズ「悪魔がにくい」。そしてその座を奪ったのがこの「別れの朝」だ。数多のラテンバンドで経験を積んだリーダーが、新しいサウンドの波を感じて結成したバンドのデビュー曲という共通項を持ったこの2曲は、たちまち万人の心を捉えた。

カプリシャスのリードシンガーというと、高橋真梨子(当時は高橋まり)というイメージがあまりにも強いが、初代ヴォーカリスト・前野曜子の功績を決して見逃してはいけない。元々時代に先んじ過ぎていたバンド、リッキー&960ポンドで活動し、70年には西丘有理名義でソロシングル「朝を待たずに」をリリースしているが、翌年ペドロ梅村に抜擢されカプリシャスに参加。ソウルフルな外見から繰り出される伸びやかな歌声で、カプリシャスサウンドの基礎を築いた。しかし、シングル3枚とアルバム2枚を録音した後、諸事情が重なり脱退。73年に二代目ヴォーカリストとして高橋まりが加入し、「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」と大ヒットを連発することになる。前野曜子は79年に映画『蘇える金狼』の主題歌を歌ってカムバックしたが、闘病の末88年7月31日に帰らぬ人となっている。
現在は5代目ヴォーカリストとして桜井美香を迎え、なおも精力的に活動しているペドロ&カプリシャスだが、こうしてヴォーカリストの変遷を見ていると、音楽性は全く異なるがディープ・パープルと重なる部分を感じる。1曲のヒットを名刺として印象付けた前野=ロッド・エヴァンス期、バンドの顔と音楽性を確立したと言える高橋=イアン・ギラン期、派手なヒットはなかったものの安定した活動を保った松平直子=デヴィッド・カヴァーデイル期。もっとも現在をジョー・リン・ターナー期に例えるのは間違ってると思いますが…。

ジョニイへの伝言,ペドロ&カプリシャス

五番街のマリーへ,ペドロ&カプリシャス

話を「別れの朝」に戻すと、同曲はオーストリアの国民的歌手、ウド・ユルゲンスが歌った「Was ich dir sagen will」がオリジナル。「夕映えのふたり」の邦題が付けられた彼のヴァージョンも同時期オリコンで17位に食い込んでいる。ピアノをメインとしたアレンジで朗々と歌い上げるスタイルで、カプリシャスの洒落たアレンジと別の曲のような印象。66年ユーロヴィジョン・コンテストで優勝した「メルシー・シェリー」が紹介されて以来、日本でも地道に人気を獲得していた人で、68年の「ふたりの夜明け」はカルトGSの代表格、ザ・タックスマンによるカヴァー(「嘆きのキング」のB面収録)も知られている。
カプリシャスヴァージョンは4週間1位を独走した後、当時国民的アイドルだった天地真理の2作目「ちいさな恋」にその座を明け渡す。いよいよアイドルの天下がやってくる最初の兆候となった。

夕映えのふたり,ウド・ユルゲンス

以前セルスターズの項で書いたように、彼らやザ・キャラクターズ、さらにニューキラーズといった、この時期に活躍したMOR系男女混成バンドの音楽が、ソフトロック〜和物レアグルーヴを通過して「ラヴ・サウンズ」という括りの元再発見されている現在。カプリシャスは3大ヒット曲やヴォーカリストの強烈な存在感がたたったのか、見直しが遅れているような印象を感じる。後進の世代にも訴えかけられるコンピレーションの1枚でも出れば、そんな状況は変わってくるのではないかと思わずにいられないけど、まずは現役一筋を貫く彼らに拍手。

【執筆者】丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。

ミュージックカレンダー,ニッポン放送,しゃベル

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