“泣ける映画”で再発進!宇宙戦艦ヤマトの深淵なる世界【ひでたけのやじうま好奇心】

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今に至るニッポンのアニメブームの火付け役と言われるSFアニメ、ご存じ『宇宙戦艦ヤマト』!
テレビシリーズが始まってから、実に43年目の今…
この『ヤマト』が、ふたたび、熱い注目を浴びているのをご存じでしょうか。

鳴り物入りの新作、その名も『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』が、今月末(※2月25日)から、東京・新宿ピカデリーなど全国で公開されます。

宇宙戦艦ヤマト2202完成披露上映会

宇宙戦艦ヤマト2202完成披露上映会舞台挨拶(左から)羽原信義、神田沙也加、平野ノラ、鈴村健一、福井晴敏=2017年2月6日有楽町よみうりホール 写真提供:産経新聞社

この“新作ヤマト”…正確には、シリーズ屈指の名作とされる『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978)のリメイクですが、制作者サイドも、実に力が入っているようで…松田聖子さんの娘さん、神田沙也加さんが、ストーリーの要となる重要人物、「テレサ」の声を担当!

さらに、脚本を担当するのは、『亡国のイージス』で知られる超売れっ子作家、福井晴敏さん!
ご本人が『ヤマト』シリーズの大ファンだそうで、今回の映画は、「(昔からのファンが)泣けるように作っている」と、それこそ泣けるコメントを発しています!

ヤマトが飛ぶのは、映画館の大スクリーンだけではありません。
このたびのヤマトブームと連動して、近くヤマトが、ホントに空を飛ぶことになっています。
これは、航空会社「スカイマーク」の特別デザイン機「ヤマトジェット」。
映画の劇場公開日と同じ2月25日から就航して、来年の夏ごろまでスカイマークの「全路線」で運航されるそうです。
ちなみに、この「ヤマトジェット」に乗り込みますと、あの懐かしの『宇宙戦艦ヤマト』のテーマソングが機内に流れるのだそうです。「♪さらば地球よ~」といった心持ちでテイクオフ!ファンにはたまらないのではないでしょうか?

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特別デザイン機「ヤマトジェット」スカイマークエアラインズ プレスリリースより

そこで今日は、いまもなお根強い人気を持つ『宇宙戦艦ヤマト』の魅力と、これまで余り知られていなかった都市伝説的ウラ話にスポットを当てましょう!

■ヤマトとは?

まず、『宇宙戦艦ヤマト』とは、どんな作品なのか? ごくごくカンタンに説明しますと…
1974年(昭和49年)、日曜日の夜7時半というゴールデンタイム(日テレ系)にスタート。
放射線汚染で生物がほとんど死滅した地球を舞台に、人類最後の希望を託された宇宙戦艦ヤマトが、放射能除去装置があるというイスカンダル星へと旅立つという壮大なお話…。
テレビシリーズでは、毎回決まってエンディングで「人類絶滅まであと○日」という、実にインパクトのあるカウントダウン表示が行われましたが、最初のヤマトの視聴率はサッパリの低空飛行で、わずか半年間で最終回を迎えました。

■ヤマトブーム到来!

ところが… 放映終了後、当時の高校生や大学生から、再放送を願うハガキがテレビ局に殺到!
試しに再放送を行なったところ、コレが大反響を呼んだのです。
さらに、立ちあがったばかりのコミックマーケット(※コミケ)の目玉商品となり、全国で「ヤマト映画化の署名運動」が始まりました。
SFとはいえ、シリアスで骨太なストーリーに、若者を含めたオトナが夢中になっていた…。
さらに、戦後まだ30年経っていないこの段階では、日本人の心に、悲劇の戦艦・「大和」への郷愁のようなものが根付いていた…。

そんなことも手伝いまして、ヤマトブームは加速に加速を加え、ついに火が付きます。
1977年テレビ版『宇宙戦艦ヤマト』を再編集した劇場版アニメ映画が大ヒット!
ことここに及び、従来の「テレビまんが」という言葉が消えまして、初めて「アニメーション」という言葉が現れた…!こうしてヤマトは、今に至る「アニメブーム」「ジャパニメーションブーム」のパイオニアとなった…というわけです。

■ニッポン放送から発進した「幻の宇宙戦艦ヤマト」

さて、こうしたヤマトブームの一環として、ほかならぬここニッポン放送で、「ラジオ版のヤマト」が放送されたというお話をご存じでしょうか?
まさに、期を見るに敏… 映画版ヤマトが公開されたわずか3か月後の1977年12月2日!『オールナイトニッポン』の枠で『ラジオドラマ宇宙戦艦ヤマト』が放送されました。
このドラマ版には、古代進の声を担当した富山敬さんをはじめ、総勢48名の声優が参加!
録音ではなく、なんと生のラジオドラマだったのですが、この緊張感もヤマトの世界観にズバリとハマり、たいへん出来栄えのいいドラマに仕上がりました。
当時、ニッポン放送にはファンからの電話が殺到して回線がパンクした…と言われています。

■ヤマトは「宇宙戦艦 長門(ナガト)」になるところだった?

さて、あの「ヤマトブーム」からはや幾歳月。当時の関係者たちの証言や、貴重な資料の思わぬ発掘により、ヤマトにまつわるちょっと意外な事実が、いろいろと明らかになりつつあります。
たとえば…「企画段階では、戦艦大和ではなく、戦艦長門になるところだった」という話があります。
最初の企画書には「ヤマト」という言葉はなく、タイトルは「アステロイドシックス」。
さらに、この企画書に描かれていた宇宙戦艦は、どうみても「長門」だったのだそうです。
戦艦長門といえば、大和が以前の連合艦隊最強の軍艦でした。
でも、ここはやはり「大和」だろう!ということで、世界史上最大の軍艦・「大和」をモチーフにすることになったらしいのです。

■究極兵器「波動砲」誕生のワケ

宇宙戦艦ヤマトの究極兵器といえば、大陸ひとつを吹き飛ばしてしまう威力の「波動砲」。
艦首のところに大きな穴が空いておりまして、ここから波動砲が発射されます。
ところが、この波動砲誕生の影には、ちょっとした秘話が残されています。
宇宙戦艦ヤマトを企画したのは、西﨑義展(にしざきよしのぶ)さんという名プロデューサー。
企画段階のとき、この西﨑プロデューサーがスタッフに向かってこう命じたのだそうです。

「艦首の部分に、菊の御紋をつけろ!」

いかに戦艦大和をモチーフにしているとはいえ、菊の御紋を持ちこんだりしたら、「軍国主義の作品」という烙印を押されかねません。難題を課せられたスタッフたちは悩んだあげく、一計を案じました。本来、菊の御紋がつくべき場所に、カクカクとした縁取りがある、大きな穴をあけたらしいのです。

「西﨑さん、いかがですか。この穴、菊の御紋に見えませんか?」
「…おう、いいじゃないか!これでいこう!」

こうして、ヤマトの艦首部分に、あの大きな穴が穿(うが)たれました。
で、せっかくだから、この穴からビームを出さないか? ということになりまして、
あの究極兵器「波動砲」が生まれた…というまことしやかな話。

以上、この種のお話はあげ始めるとまだまだ有りますが、今日はこの辺で…。
処女航海から約半世紀、こんどは映画で発進!今なお熱烈なファンが多い『宇宙戦艦ヤマト』の伝説をご紹介しました!

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2月8日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より

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