1/1は日本を代表するフュージョンバンド・カシオペアのリーダー野呂一生の誕生日【大人のMusic Calendar】

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2017年もどうぞ「大人のMusic Calendar」をよろしくお願いいたします。

新春にお送りする最初のコラムは、本日1月1日が誕生日のギタリスト、日本を代表するフュージョンバンド:カシオペア(現:CASIOPEA 3rd)のリーダー、野呂一生氏について。本日、60歳の還暦を迎えられたとのこと。

私時代,野呂一生自叙伝

1957年、東京都目黒区生まれ。“一生”の名は、まさに1月1日生まれであることに由来する。中学時代に本格的にフォークギターを始め、大雷雨に見舞われたことで伝説となっているグランド・ファンク・レイルロードの来日公演を中学3年生(1971)のときに東京・後楽園球場で体験し、音楽への道を強く意識するようになったという。最初に手に入れたエレキギターは500円で友人から譲り受けたもので、別売りで買ったギターケースに入らなかったため、ノコギリで切って小さくしたという仰天エピソードもある。高校在学中はレッド・ツェッペリンやジェフ・ベック・グループに傾倒。そのコピーに明け暮れたという、まさしく当時の典型的なギター少年。同時期に既にギターの名手として名を馳せていた竹中尚人(Char)、竹田和夫、高中正義、和田アキラらを意識しながら、ひたすら練習に打ち込む日々だったとのこと。そして高校三年生のとき、ベーシスト:櫻井哲夫と意気投合し、スタジオセッションを繰り返すようになる。この出会いこそが、後の「カシオペア」結成へとつながっていく。

この時期の野呂にとってのもう一つの大きな出会いが、ジャズとの邂逅だ。ジャズギターのマエストロ、ジョー・パスが著したギター演奏理論書「Joe Pass Guitar Style」を、楽器屋の楽譜棚で偶然見つけて入手。邦訳版が出る以前の英語の原書のまま独学で勉強・解析を行い、ジャズ理論、およびジャズギターの演奏技術を身に付けていく。同時に、バークリー音楽院から帰国した渡辺貞夫が著し、70年代当時、多くの日本人ジャズメンに最新型のジャズ理論への理解をもたらしたという名著「JAZZ STUDY」をも読破して実力を上げていく。やがて学んだ理論を応用すべく作曲にも挑戦するようになり、野呂は「典型的なギター少年」の枠を大きく踏み越えていく。

作曲もこなすようになり、そのアンサンブルの実現を重視するようになった野呂は、ロックバンドではなく、イントゥルメンタル中心のバンドサウンドを志向するようになる。そして櫻井と共に1976年にヤマハ主催のアマチュアバンド・コンテスト「EastWest'76」に出場し、決勝に進出。同時にベストギタリスト賞も受賞して名を上げ、翌年の「EastWest'77」には向谷実も加えて再出場。2年連続のベストギタリスト賞と優秀グループ賞を受賞するに至る。レコードデビュー前ではあるが、公式にはこの1977年が「カシオペア」結成の年とされている。余談になるが、「EastWest'77」でベストヴォーカル賞を受賞したのが、サザン・オールスターズの桑田佳祐。デビュー前の武者修行として、カシオペアとサザン・オールスターズでよく対バンを組み、ライブハウスを回っていた時期があるという。

カシオペア,カシオペア

この「EastWest'77」出場でハズミをつけ、カシオペアは、1979年5月にアルバム『CASIOPEA』でアルファレコードからデビューする。デビュー盤からして早くもランディ・ブレッカー、マイケル・ブレッカー、デイヴィッド・サンボーン等、当時の米フュージョン界のスター・プレイヤーが参加するという破格の扱いであった。そして1980年の3rd.アルバム『THUNDER LIVE』からは、ドラムに神保彰が参加。野呂一生(g)、向谷実(key)、櫻井哲夫(b)、神保彰(ds)の4名が揃った、ファンの間で「80年代の黄金期」と称される快進撃がスタートし、フュージョンバンド「カシオペア」の名を不動のものに押し上げていく。

カシオペア

その中で野呂は、フレットレスギターや、ギターによるスラップ奏法などを交えた、変幻自在のプレイスタイルを駆使しながら、黄金期を代表する名曲「Asayake」「Eyes of the Mind」「Galactic Funk」「Take Me」「Looking Up」など、レパートリーの大半を作編曲するなど、まさに中心的役割を果たしていくことになる。

THUNDER-LIVE,CASIOPEA

ファンの間では、カシオペアはいわゆる「フュージョン」ではなく、「カシオペア」という音楽ジャンルそのものである……などと言われるほど、確固とした美学に基づく独自のスタイルがある。フュージョンというと、超絶技巧を繰り出すテクニック偏重の演奏、あるいは爽やかさが売りのお気楽なリゾート・ミュージック……などと揶揄される向きも多かった80年代当時、カシオペアの生み出す楽曲・演奏は、それらとは一線を画する「格調」を有していた。フュージョンの源流たる「クロスオーバー」と呼ばれていた時期の、ジャズ、ロック、クラシック、イージーリスニング等、あらゆるジャンルを文字通り「横断」する骨太の音楽的精神が、80年代半ばにおいてもカシオペアの中では生き生きと持続していたのだ。カシオペアの楽曲の大半を作曲していた野呂一生のコンポーザーとしての高い能力が、その原動力になっていたことに疑う余地はないだろう。そしてそれを下支えしていたのは、高校時代から必死に食らいついて体得したという、「ジャズ理論で動く指」に他ならない。

その後カシオペアは、レコード会社の移籍や櫻井・神保の脱退、ベーシスト鳴瀬喜博の加入など様々な紆余曲折を経ていくが、野呂はリーダーとしてカシオペアの「格調」を守り続けていくことになる。2012年には、6年振りの活動再開とともに向谷実の脱退、大高清美の加入、そしてグループ名を「CASIOPEA 3rd」と改めることが発表された。自ら「第3期」を名乗るこの新生カシオペアで、野呂一生は現在も鋭意活動中である。

前述したとおり、公式には「EastWest'77」の年がカシオペア結成の年とされている。要するに今年はカシオペア結成40周年の年でもあるのだ。かつてのアルバムもCD再発や音楽配信で手軽に聴ける状態となっている。現在の「CASIOPEA 3rd」の活動を含め、その40年間の長大なレジェンドを、この機に今一度振り返ってみてはいかがだろうか。

【執筆者】不破了三(ふわ・りょうぞう):音楽ライター、CD企画・構成、音楽家インタビュー、エレベーター奏法継承指弾きベーシスト。10/5発売CD「水木一郎 レア・グルーヴ・トラックス」選曲原案およびインタビューを担当。

ミュージックカレンダー,ニッポン放送,しゃベル

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