自分が速いという感覚は一切なかったです-古城暁博選手(アンプティサッカー)インタビュー

ニッポンチャレンジドアスリート・古城暁博選手(アンプティサッカー)インタビュー(1)】

このコーナーは毎回ひとりの障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

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 古城暁博(こじょうあきひろ)
1983年、沖縄県宮古島生まれの33歳。5歳の時に交通事故で右ひざから下を切断。小学生から義足でサッカーを始める。高校生のときに勧められて陸上を始め、2000年シドニーパラリンピックに出場。100mで8位入賞を果たすが、サッカーへの思いが強く、陸上をやめ専念。杖をついてプレーするアンプティサッカーに出会い、昨年ワールドカップに出場した。

-事故で右足を失ってしまったときのことは小さかったのでよく覚えていないという古城。物心がついたときから普通に義足で歩きまわっていた。
古城 まわりは健常者しかいなかったので、一緒に走り回って遊んでいましたね。

-小学校ではサッカー部に入部。同級生たちと比べて大きな身体を生かし、足のハンディをカバー。ディフェンダーとしてプレーした。サッカーに夢中になっていた1993年、Jリーグが開幕する。
古城 上手なサッカーを見て華やかな舞台を見て、サッカーをやっている人間としてプロのサッカー選手は憧れました。

-将来は日本代表になってワールドカップに出たい。そんな夢を持って中学まで義足で試合に出場していた古城だったが、高校生になると規定などによって公式戦には出場できなかった。
古城 小学校・中学校のときは、義足の制限は強く感じなかったんですが、高校になると義足は金属と扱われるので、公式戦に出場するのに壁になっていたんではないかと思います。あと、単純に自分の実力は足りていなかったと思います。

-高校のとき、ふるさと宮古島を出て、親戚が住んでいる千葉に引っ越した古城。その親戚がきっかけで新たなスポーツに出会う。
古城 親戚がスポーツセンターで働いていたんですけど、そこの所長が障がい者スポーツのクロスカントリースキーに携わっていた方でした。陸上の短距離が(サッカーの)オフシーズンのトレーニングに良いんじゃないかというのがきっかけで陸上を始めることになりました。

-陸上を始めて1年ほどで100m13秒84という当時の日本記録をマーク、周囲を驚かせた。自分に走る才能があると気づいたのはいつだったのだろう?
古城 陸上をやっていても自覚としてはなかったです。サッカーをやっていて、大腿切断での障がいを持った選手が走るということがすごいことなんだとわかっていなかったので、自分の中では当たり前でした。むしろサッカーの中では日頃から健常者と一緒に競技をしていたので、自分が速いという感覚は一切なかったです。

-彗星のようにあらわれたこの才能を周りが放っておくわけがない。古城にこんな誘いがかかった。『パラリンピックに出場してみないか。』高校生の時に陸上100mで日本記録をマークした古城は200mでもパラリンピック出場に必要なA標準の記録をクリア。2000年当時17歳でシドニーパラリンピックに出場を決めた。この快挙に、古城選手の故郷・宮古島は大騒ぎになった。
古城
 学校をあげて『パラリンピック出場おめでとう』と激励の壮行会を開いていただきました。周りのみなさんの盛り上がり方を見て、『凄い大会に出るんだなあ』と、少しずつ実感したことを覚えています。

-ところが、本番1か月前に思わぬアクシデントが起こる。

(4月11日~15日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。