アメリカがドナルド・トランプなら日本は千昌夫!【GO!GO!ドーナツ盤ハンター】

By -  公開:  更新:

昨今のアナログ盤ブームで、改めて注目されているのが歌謡曲のレコード(ドーナツ盤)。
デジタル音源より音に厚みがあり、またCDでは味わえないジャケットの大きさも魅力の一つ。
あえて「当時の盤で聴きたい」と中古盤店を巡りレコードを集めている平成世代も増えているようです。

世界中に衝撃を与えた、トランプ新大統領誕生。トランプと言えば「世界の不動産王」ですが、日本の歌謡界にもかつて「歌う不動産王」と呼ばれた人物がいました。岩手が生んだ演歌歌手・千昌夫です。一時は歌手を休業して、世界各地でビルやマンションを買いまくりましたが、バブル崩壊後は再び歌手に復帰。この人にはやはり歌が似合います。またプロデューサーとしての才覚もあり、つい見落とされがちなその功績をレコードと共にたどってみましょう。

【ビギナー向け】・・・『星影のワルツ』(1966)

星影のワルツ

少年時代に父親を亡くした千昌夫にとって、父親代わりともいえる恩師が作曲家・遠藤実です。1965年、18歳のときに遠藤に弟子入り。その年に遠藤の名を冠したレーベル「ミノルフォンレコード」からデビューし、翌1966年3月に出したデビュー第3弾がこの曲でした。
不思議と沁みる詞は、遠藤がある同人詩集から偶然見付けたもので、自分がしがないバンドボーイだった頃、辛いとき夜空を見上げ「こんな美しい星に気付かなかった俺は、なんてちっぽけなんだ」と思った経験が重なり、曲がふっと浮かんできたそうです。そして、この曲の歌い手は、東北から上京してきた千がぴったりだと。
もともとはカップリング曲の『君ひとり』がA面でしたが、発売から1年ほど経って有線放送でジワジワと火がつき、A・B面が逆転。発売から2年以上経った1968年6月、ついにオリコン1位に輝き、ミリオンセラーの大ヒットに。この年の年間売り上げ1位を記録しました。
発売当時、千は日銭を稼ぐため通っていた池袋のバーで、ジュークボックスになけなしの硬貨を入れ、何度もこの曲を店内で流していたそうです。そんなある日、一人のホステスが「これ、いい曲ね…」と涙を流し、それを見て千は未来が開けた気がしたとか。レコードの時代ならではのいいエピソードです。
半世紀前の古い曲ですが、昭和を代表するビッグヒットなので出物はかなり多く、300円前後で入手が可能です。

【上級者向け】・・・『俺ら東京さ行ぐだ』(吉幾三/1984)

俺ら東京さ行ぐだ

なぜここで吉幾三の曲?と思われるかもしれませんが、実はこの傑作が世に出たのは、何を隠そう、千昌夫のお陰なのです。
1977年、コミックソング『俺はぜったいプレスリー』がスマッシュヒットした後、鳴かず飛ばずでレコード会社との契約も打ち切られた吉幾三は、苦境を脱するため「日本でまだ誰もやってないことをやろう」と決意。そこで手に取ったのが、米国のラップミュージックのLPでした。
それをヒントに「国産ラップ」を作ったはいいが、どこのレコード会社も相手にしてくれず、途方に暮れていた吉に「面白いじゃないか。オレが原盤権を買って売り込んでやる!」と救いの手を差し伸べたのが千でした。青森出身の吉は同じ東北人の後輩。吉に数百万円をポーンと手渡すと、ミノルフォンの流れを汲む徳間ジャパンと話を付け、リリースを決めてきてくれたのです。千の読み通りこの曲は、オリコン最高4位まで上昇する大ヒットになりました。
これ以前に発表された日本語ラップは何曲かありますが、チャート上位にランクインした国産ラップはこの曲が初めてであり、歌謡史的にもっと評価されてしかるべき作品です。そしてこの異色の曲を、皮膚感覚で「売れる」と見抜いた千のセンスも素晴らしく、もし手を差し伸べていなかったら、後の大ヒット曲『雪国』『酒よ』も生まれていたかどうか…吉がよく「千さんには一生頭が上がらない」と言うのは、そんな経緯もあってのことなのです。
中古価格は500円前後ですが、和モノDJには必須の一枚です。

【その他、押さえておきたい一枚】

『北国の春』(1977)

北国の春

千昌夫といえばこの曲、東北人のソウルミュージック。公称300万枚の大ヒットに。日本だけでなく、アジア各国でもヒット。

『津軽平野』(1984)

津軽平野

大恩人・千に吉幾三が書き下ろした曲。ジャケットは普通のカラー写真版と、ピンクバージョンの2種類あり。(写真はピンク版)

【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5,000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。

Page top