SPMAのため、身体がほとんど動かせない状態で、自ら介護事業所を設立。 難病に悩む人や、その家族を救っている男性 【10時のグッとストーリー】

あなたは、「脊髄性進行性筋萎縮症」(せきずいせい・しんこうせい・きんいしゅくしょう)、略称「SPMA」という病気をご存じでしょうか?
脊髄の運動神経細胞に異常が起こり、全身の筋力が低下、筋肉も徐々に落ちていく難病で、有効な治療法はまだ見つかっていません。

今朝は、SPMAのため、身体がほとんど動かせない状態で、自ら介護事業所を設立。
難病に悩む人や、その家族を救っている男性のグッとストーリー

IMG_0938

京都府亀岡(かめおか)市に住む、二階堂道廣(にかいどう・みちひろ)さん・60歳は、ある化学メーカーに勤めていましたが、1985年、30歳のとき、SPMAを発症。
だんだん身体が動かなくなっていきました。
突然襲った病魔に、戸惑った二階堂さん。

どこの病院に行っても原因が分からないと言われ、仕事も困難になっていきました。

会社を休職し、そのまま退職。
40歳のとき、ついに首から上と両手首しか動かせなくなり、車いす生活になった二階堂さんは、外出もせず、京都の自宅に引きこもるようになりました。そこへ追い打ちをかける事態が…。

IMG_5508

98年、二階堂さんをずっと介護してくれたお母さんが、「認知症」と診断され、さらにその5年後、お父さんの具合も悪くなり、寝たきりの状態に。
一家3人が全員、介護を必要とする状況になってしまったのです。

周囲から「施設に入った方がいいんじゃないか?」と勧められましたが、二階堂さんには、そうできない理由がありました。
以前、やむなくお父さん、お母さんを入院させたとき、長年住み慣れた家を恋しがって、泣き叫んだり、荒れたことがあったからです。

さぞ、つらい思いをしたんやろな…。やっぱり一つ屋根の下、親子3人で暮らしたいわ。

とはいえ、厳しい現実は変わりません。
本当は3人とも、24時間、介護が必要な状態なのに、ヘルパーは決まった時間になると帰ってしまいます。
このままでは、いつか共倒れに…。

どうしたら、ええんやろ?いっそのこと、死んだ方が…

一時は、そこまで思い詰めた二階堂さんでしたが、2006年のある日、希望の灯がともります。

私でよかったら、お手伝いさせてもらえへん?

IMG_0640

入浴介助で二階堂さん宅を訪れていた、朝戸香織(あさと・かおり)さん・当時36歳でした。
二階堂家の厳しい状況を見て、居ても立ってもいられなくなった朝戸さんは、ヘルパー経験のある友人と交代で二階堂さん宅を訪れ、3人を介護。
お陰でひと息つくことができました。

ほんまに助かった。こうして毎日24時間来てくれる事業所があったらええんやけどな…

ふと、そんなことを思った二階堂さんの背中を、朝戸さんが押してくれました。

せやったら、私らで作ったら、ええんやない?

IMG_7076

2007年7月、二階堂さんは自宅を使って、NPO法人「自宅生活応援団 ぴかピカ」を設立。
訪問介護型の事業所で、ユニークな名前は、スキンヘッドの二階堂さんをイメージしたものです。
二階堂さんは理事長として、経営や事務全般を担当。
経営はまったくの素人で、車いすでの作業は大変でしたが、「困っている人を助けたい」という使命感が、二階堂さんを支えました。

TKE_7622

「ぴかピカ」の評判は口コミで広がっていき、数年後、京都市からこんな電話が入ります。

ALSの患者さんが、家に帰りたいと言うんです。介護を引き受けてもらえませんか?

ALSとは「筋萎縮性側索硬化症」(きんいしゅくせい・そくさく・こうかしょう)のこと。
二階堂さんの病気・SPMAと同様、体の自由が利かなくなる難病ですが、その患者さんは「どうしても家に帰りたい」と熱望。
しかし自宅介護の引き受け手がなく、京都市に相談したのです。
両親が入院中、泣いて家に帰りたがった経験から、その気持ちが痛いほど分かった二階堂さん。
しかし介護を引き受ければ、ヘルパーにかなりの負担をかけることになり、人数も必要で、経営者としては覚悟が必要です。
迷っていると、再び背中を押してくれたのが、朝戸さんでした。

IMG_8125

私はお金の計算をして、この事業所に飛び込んだんじゃないのよ!

この一言で、二階堂さんはハッと目が覚めました。

せやった!こういう人のために、自分は事業所を作ろうと決めたんやないんか?

二階堂さんは、受け入れを決定。
評判を聞き、他のALS患者の家族からも問い合わせが殺到し、今では利用者の6〜7割が、ALS患者になりました。

IMG_7855

これが自分の使命なんや!

と実感した二階堂さん。
不思議なことに最近、首が以前よりも動かせるようになりました。握力も若干戻り、パソコンを動かし事務作業もこなしています。

そして、新たな目標もできました。2020年に、かつて親子3人で行った思い出の地・北京に再び行き、万里の長城に登ること。
それも車いすではなく、自分の足で登ることです。

私は、自分が障がい者だと思っていないんです。
障がいがあるから、あれができない、
これができないではなく、今ある力で、何ができるかを考えることが大事なんです。
やりたいことがあるなら、ためらわず飛び込んでいくことですね。

【10時のグッとストーリー】

八木亜希子 LOVE & MELODY 2016年4月16日(土) より

八木亜希子LOVE&MELODY