いくつ知ってる?あの大ヒットアーティストのデビュー曲

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歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)

最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。

春はデビューの季節。プロ野球でも、阪神・髙山などルーキーが活躍していますが、歌謡曲においても「デビュー曲」は大きな意味を持ちます。
今回は、有名歌手たちのデビュー曲は何だったのか?その原点を押さえておきましょう。

まずは、50代になっても10代の頃と同じくらい高く足が上がり、ターンもキレッキレの「トシちゃん」こと田原俊彦ですが、80年、『哀愁でいと』でデビュー。
米国のアイドルシンガー、レイフ・ギャレットの『New York City Nights』のカバーですが、元の内容をまったく無視した日本語詞と、インパクトのある歌いっぷりで大ヒット。
あまりのフリーダムさに、いまだにオリジナルだと勘違いしている人も多いですが、最初からこの破壊力は尋常ではありません。

カバー曲でデビューといえば、小泉今日子もその一人。
82年、『私の16才』という正調アイドルソングでデビューしましたが、これは森まどか『ねぇ・ねぇ・ねぇ』のタイトルを変えたものでした。
2曲目もカバーで『素敵なラブリーボーイ』は林寛子さんがオリジナルですが、どちらもキョンキョンにしか出せない声で、コイズミワールドを作り上げています。
89年、フィンガー5『学園天国』をカバーして大ヒットさせますが、その原点はここにありました。

キョンキョンと同じ、82年にデビューしたのが中森明菜です。
こちらはオリジナル曲『スローモーション』でデビュー。
来生えつこ・たかお姉弟コンビの作品ですが、大橋純子、しばたはつみなど、実力派の歌手に曲を提供していた二人に書いてもらえたのは、彼女の歌唱力が新人離れしていたからです。
しかもロスでレコーディング。
ブレイクしたのは2曲目の『少女A』からですが、本人は『スローモーション』の方が好きです、と当時から公言し、コンサートでもずっと大切に歌っていました。まさに原点となった名曲です。

卒業/斉藤由貴

いきなり黄金コンビが書き下ろし、といえば85年、斉藤由貴のデビュー曲『卒業』を忘れてはいけません。
作詞・松本隆、作曲・筒美京平コンビといえば、太田裕美『木綿のハンカチーフ』ほか、数々の名曲を世に送り出したヒットメーカー。
初々しい声で「卒業式で泣かないのは、もっと悲しい瞬間に涙をとっておきたいから」と歌う姿にズッキュンと来たのは、私だけではないでしょう。

ちなみに松本・筒美コンビは、80年末、近藤真彦のデビュー曲『スニーカーぶる〜す』を書き下ろしたほか、ファン以外にはあまり知られていませんが、74年、THE ALFEEのデビュー曲『夏しぐれ』も手掛けています。
当時は「ALFIE」で4人組でしたが、今でも時々、ライブでネタ的に披露しています。

いまなお第一線で活躍する「E.YAZAWA」こと矢沢永吉のデビュー曲は、72年、キャロル時代に出した『ルイジアンナ』ですが、ソロデビュー曲は自ら作曲した『アイ・ラブ・ユー、OK』です。
自伝『成りあがり』によると、実は上京前からずっと温めていた曲で、バンドのメンバーを探す際、この曲を聴かせては「俺と一緒にやらないか?」と口説いていたそうです。
ついでに奥様もこの曲で口説き落としたとか。

78年、サザンオールスターズのデビュー曲『勝手にシンドバッド』は、ロックバンドなのにサンバ。
しかもタイトルは、当時ヒットしていた『勝手にしやがれ』と『渚のシンドバッド』を足して2で割ったものでした。
世間ではコミックソング的な扱いも受けましたが、いったい何と言っているのか分からない桑田佳祐の歌も含め、型にはまらないサザンの音楽性は、この曲に集約されています。

デビュー曲を聴けば、そのアーティストの原点が分かるのです。

“デビュー曲”ここがポイント!
<タイトルで萌えるデビュー曲>
●66年 山本リンダ 『こまっちゃうナ』
●85年 南野陽子 『恥ずかしすぎて』
●82年 安全地帯 『萌黄色のスナップ』

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