中国・李鵬元首相が死去~ソ連が崩壊し、中国が残った1つの理由

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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(7月24日放送)に数量政策学者の高橋洋一が出演。中国の李鵬元首相が亡くなった報道から、中国の共産主義体制の今後について言及した。

中国・李鵬元首相が死去~ソ連が崩壊し、中国が残った1つの理由

【中国・李鵬全人代常務委員長が国会訪問】国会を訪れた中国・李鵬全人代常務委員会委員長=2002年4月3日 写真提供:産経新聞社

中国・李鵬元首相が死去

1989年の天安門事件で民主化運動弾圧に深く関わった中国の李鵬元首相が22日、病気のため亡くなった。90歳だった。中国国営通信の新華社は果断な措置で反革命暴乱を抑え、党と国家の運命に関わる闘争で重要な役割を果たしたと評価している。

飯田)新華社は共産党の宣伝機関ですから、こういう形になるのでしょう。

高橋)共産党から見れば、よくやってくれたという言い方でしょうね。共産党以外から見たらとんでもない弾圧です。いまは香港問題がありますよね。歴史は不思議です。あのときベルリンの壁が崩れた。多くの人は「中国も」と思いました。でも、その後の状況は違った。ある意味、いまの中国があるのは天安門をうまく切り抜けたからかもしれません。

飯田)当時はソ連の崩壊もあって、共産主義の国々がバタバタと行って、中国もと思いきや。

中国・李鵬元首相が死去~ソ連が崩壊し、中国が残った1つの理由

天安門事件=1989年5月20日 写真提供:産経新聞社

共産主義でもソ連は崩壊して、中国は残った

高橋)同じだと思いますよね、中国はソ連共産党のコピーのようなものでしたから。それで天安門が起こった。強権的にやると歴史が変わるのだなと思いました。

飯田)1989年6月4日が天安門事件でありました。1989年というとソ連がまだゴルバチョフ政権の時代で、情報公開や一部の民主化をやって、ソ連もいい方向に行くのかなと思いました。

中国・李鵬元首相が死去~ソ連が崩壊し、中国が残った1つの理由

1989年11月、国境開放後に「ベルリンの壁」をよじ登って喜ぶ東ドイツの市民ら(ロイター=共同)=2018年11月12日 写真提供:共同通信社

共産主義体制では経済がうまく行かない

高橋)ゴルバチョフさんのスタンスがベルリンの壁崩壊、共産主義の崩壊を招いたとも言えます。歴史と社会科学から見るとソ連の方が共産主義体制が早かったわけで、70年経ってつぶれたので、そのアナロジーから見れば中国もそろそろだと言う人もいます。ちょうど70年くらいでしょう。もちろんこういうことは10年、20年はずれることもありますが。でも共産主義体制という自由のない体制では、経済がうまく行かないことが証明されたのですよ。いまの香港などを見ていると、それは中国も似ているのではないでしょうか。紆余曲折はあるけれど、同じような道ではあるのです。中国の歴史を見ても、統一国家が長く続くことはありませんでした。「どこかで必ず」と思う人もいるでしょう。

飯田)広すぎる国土と、多すぎる人口を束ねて行くのは難しい。

高橋)それは無理でしょう。最後に政治的に自由でないと、体制を維持しにくいと考えるのが社会科学の基礎理論です。

飯田)かつて中国に対して経済で密接につながって、資本主義が入って行くことで、最終的に民主主義も入って行くという、いわゆる寛容政策というものがありましたが、なかなかうまく行かなかったと言われていますよね。

高橋)政治的自由ということが根幹でうまく行くと。でも疑似的な資本主義を入れたから、経済は資本主義のようだけれども、根っこが違っているから難しいのではないでしょうか。経済の方から政治体制を直すのは、革命などがない限り難しいでしょう。

飯田)そこの乖離が、いままでは「経済が回っていればいい」と言う人がいましたが、その失速がすべての失速につながるかもしれませんね。

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