ライター望月の駅弁膝栗毛

越後湯沢駅「いくらたらこめし」(1,050円)~日本一のモグラ駅!上越線・土合駅 【ライター望月の駅弁膝栗毛】

土合駅,E129系

土合駅のE129系

“国境の長いトンネル”の中で停車したE129系電車の普通列車・長岡行。
ココは群馬県みなかみ町にある上越線・土合駅(どあい・えき)の下りホームです。
鉄道好きならご存知、土合駅の下りホームは「新清水トンネル」の中にあります。
上越線は今から85年前、昭和6(1931)年に全線が開通しました。
土合駅は、昭和11(1936)年に正式に駅となり、今年12月で80周年を迎えます。

土合駅の階段

土合駅の階段

土合駅の下りホームに降り立つと、ひんやりとして湿気の多い空気に包まれます。
それもそのはず、ホームは駅舎の位置からおよそ70m低い位置にあり、列車を下りてから460段以上の階段を登らないと改札を出られません。
普通に歩いて登っても、下りてから改札を抜けるまでに10分以上!
それゆえ土合駅には「日本一のモグラ駅」という愛称もあります。
階段を上がるにつれ空気がぬるくなり、額にうっすら汗を感じていきます。

土合駅階段登頂

土合駅階段登頂

462段の階段を登ると「おつかれさま」という労いの言葉が有難い!
そして残りの24段に向けて「がんばって!!」という文字がありました。
列車を下りただけで“激励”される駅は、土合駅のほかにまず無いでしょう。
この「モグラ駅」が誕生したのは、昭和42(1967)年9月28日のこと。
上越線を複線化するため「新清水トンネル」が掘られ、下りホームが新しいトンネル内に作られたためです。

土合駅上りホーム

土合駅上りホーム

元々の線路は上り線専用となり、今も現役です。
駅舎と同じ地上にある土合駅の上りホームから「清水トンネル」方向を望みます。
恐らく単線時代は、ココで列車の交換が行われていたために駅の構内が広いのでしょう。
小説「雪國」に出てくる列車は、この線路を湯沢方面へ向かっていた訳です。
戦後、技術の進歩で長いトンネルを掘れるようになり、低い標高の場所から山を貫いたのが「新清水トンネル」(下り線)。
「モグラ駅」は、日本の技術の進歩を肌で感じられる場所でもあるんですね。

石打駅の岡村貢像

石打駅の岡村貢像

東京と新潟を結ぶ鉄道は当初、長野・直江津経由の「信越本線」がメインルートでした。
しかし、如何せん時間がかかり過ぎ、東京・新潟を直結する鉄道が求められるようになります。
この実現のために尽力した人物が、南魚沼出身の岡村貢(おかむら・みつぎ)。
「法師温泉」の創業者としても知られる岡村は、私財をつぎ込んで上越国境の測量も行いました。
岡村の功績は今も「上越線の父」として称えられ、石打駅前には銅像も建てられています。

いくらたらこめし

いくらたらこめし

昭和初期、上越線に生まれた“国境の長いトンネル”こと「清水トンネル」は長さ9,702メートルに及びました。
安全のため、開通当初からトンネルを挟んだ水上~石打間は「電化」されました。
水上と石打では「電気機関車への付け替え」のために、長い停車時間が生じて「駅弁屋」さんが繁盛します。
石打の駅弁屋さんは、今も越後湯沢で駅弁を手がける南魚沼市の「川岳軒(せんがくけん)」。
「川岳軒」は上越線と同じ昭和6年創業、人気駅弁は「いくらたらこめし」(1,050円)です。

いくらたらこめし

いくらたらこめし

上越国境の湯沢、いくらもたらこも獲れませんが、ココの売りは何といっても米!
実は「いくら」も「たらこ」も上に載っているだけで、真の主役はその下で艶々と白く輝く「魚沼産コシヒカリ」なのです。
このいくらとたらこが「魚沼産コシヒカリ」の持つポテンシャルを最高に引き出してくれています。
猛烈に食欲をそそる米の甘みと魚卵の塩辛さのハーモニーを、ぜひ堪能してほしい駅弁です。
実は新潟の米が、今のようにブランド化出来たのは「上越線開通」のお陰とも言われます。
新潟米の甘みと先人の苦労を噛みしめながら越えたい“国境の長いトンネル”です。

(参考:新潟県製作ホームページ「新潟文化物語」

(取材・文:望月崇史)

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