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目指せ「のらくろマンガ賞」!ところで『のらくろ』って何? 【ひでたけのやじうま好奇心】

「葛飾区亀有」といえば『こち亀』ですが、「江東区森下」と聞いて、どんなマンガを想い浮かべますか?
正解はズバリ… 『のらくろ』です!

第12回のらくろマンガ賞作品募集

いま、江東区にある「森下文化センター」が「のらくろマンガ賞」というマンガ賞を募集しています。
今年で第12回目になります。
というのも、森下には『のらくろ』の作者、田川水泡さんが長らく住んでいたそうでして「森下文化センター」には「田川水泡・のらくろ館」という記念館も併設されています。

折も折、この「のらくろ館」は先ごろリニューアルされたばかりで展示も一層充実。
のらくろファンのお年寄りはもちろんのこと、親子三代に渡る見物客が、引きも切らないそうです。

そこで今日は、みんな知っているようで意外と知らない『のらくろ』にスポットを当ててみましょう!

のらくろ漫画全集-(1967年)

のらくろ漫画全集 (1967年)

のらくろ,少年倶楽部

“のらくろ上等兵”(上)。「のらくろ」は、1931(昭和6)年から大日本雄弁会講談社(現・講談社)の雑誌「少年倶楽部」(下)に長期連載された。 写真:共同通信イメージズ

本名「のら犬黒吉」、略して「のらくろ」…。
ちょいとドジなイヌを主人公としたこの軍隊を舞台としたマンガは、1931年(昭和6年)当時の子どもたちの愛読誌『少年倶楽部』1月号で連載スタートしました。

軍隊に入った「のらくろ」は、新兵ですから当然、「二等卒」(※のちの「二等兵」)でした。
そして、二等卒のまま1年程度で連載が終わる予定だったのですが…あまりの大人気に、連載は伸びに伸びていきます。
次の年「のらくろ」は、めでたく「一等兵」に昇級。
そして、さらには上等兵になり、伍長になり… といった具合に、散々ドジを踏みながらも、「のらくろ」は、じわじわと、出世を重ねていきます。
そして最後はなんと「のらくろ少佐」にまで昇進!

結局、大人気漫画『のらくろ』は太平洋戦争が勃発する直前の1941年(昭和16年)10月号まで、実に11年間に渡って連載され続けました。

もちろん、ありとあらゆるキャラクターグッズも登場しました。
メンコはもちろん、お菓子のパッケージ、ブリキ人形、エトセトラ…さまざまな「のらくろグッズ」が列島じゅうに溢れたのですが、コレがまぁ、ほほすべて「無許可」!
でも、作者の田川水泡さんは、いっさい著作権を、主張しようとはしませんでした。
「ボクの描いたのらくろが有名になれば、それでいい。」

そして、『のらくろ』は、「日本で初めて生まれた国民的漫画」… とまで呼ばれるようになりました。

田河水泡

子どもたちに囲まれて筆を執る漫画家の田河水泡さん 写真:共同通信イメージズ

ところが…やがて終戦、そして戦後を迎えてからというもの、「のらくろ」の影は、薄くなっていく一方でした。
みんな、「のらくろ」の顔そのものは、なんとなく知ってはいますが、マンガを一心不乱に読んでいる人は、ほとんどいなくなってしまった…。

実は、戦後になってから、出版界では、『のらくろ』に対するバッシングが吹き荒れました。
いったい、なぜでしょうか?
ズバリ言うと… 「のらくろ」イコール、「軍国主義」。
「のらくろ」イコール、「戦意を高揚するプロパガンダ漫画」!
そんな論調が、まかり通るようになってしまったからです。

実際、40年ほど昔の週刊誌を紐解きますと、ある有名作家が、戦争を想起させるということで「のらくろ嫌い」を公言しています。

確かに「のらくろ」は、兵隊さんですから、軍隊と切っては切れないキャラクターではあります。
じゃあ… 『のらくろ』は、本当に、単なる「軍国主義マンガ」に過ぎなかったのでしょうか?
実は、最近の研究によって、そういう見方は「大間違いだった」… と言われ始めています。

『のらくろ』の連載が始まったのは、満州事変が起こった、1931年(昭和6年)。
つまり、すでに軍部の力が、非常に大きくなっていた時代だったのですが…
当時の軍部は、『のらくろ』というマンガを推奨するどころか、ニラミに睨んでいたのだそうです!

「わが帝国陸軍を、イヌに例えるとは何事か!」
「妙な動きあらば、そっこく連載を、辞めさせるぞ!」
「憲兵による検挙も辞さぬ!」

それほど『のらくろ』は、軍部に疎まれていていた… らしい。
実際、「のらくろ」は、連載最後のほうでは軍隊を辞めまして、喫茶店のオーナーになるのですが…この除隊に至る展開は、軍部から横槍が入ったせいだ… とも言われています。

では… 日本中の子どもたちを熱狂させた『のらくろ』の本当の魅力とは、どこにあったのでしょうか?
“マンガの神様”手塚治虫さんは、生前、「のらくろの魅力」というエッセイの中で、こう綴っています。

「(のらくろの魅力の)大きな要素のひとつに、ギャグの素晴らしさがある。
これは、(作者の田川水泡さんが)落語台本を書いていた… という実績によるものであろう。」

「敵が弾雨の中を逃げる時、『弾がたまに頭にあたる。弾にたまげる。こりゃタマらない。』
(※中略)田川漫画はギャグの洪水である。」

田河水泡

田河水泡、昭和63年11月29日撮影 写真:共同通信イメージズ

さらに、ある漫画評論家は、こう言っています。
「のらくろの本当の魅力は、その哀愁に満ちたキャラクターだ。」

『のらくろ』の一篇に子犬時代が描かれた作品があります。
この作品は「のらくろ」のこんな切ないセリフで始まります。

『はっきりしてはいないが、覚えているのは、(ボクが)箱のふたに乗って、川に流されていたことです』。
『お母さんのことも兄弟のことも、今となってはどうしても、思い出せない。目に浮かぶのは、あの冷たい川の水の色だけ』。

… つまり「のらくろ」は、天涯孤独の捨て犬、しかも人(?)並み以上の「ドジ」です。
だからこそ、連載当時の読者たちは、「のらくろ、がんばれ!」と夢中になりました。

「のらくろ」が出世しまして、少尉になってからも、切ないお話があります。
新年を迎えまして、のらくろ少尉がいる軍隊にも、年賀状の山が届く。
のらくろ少尉は、部下に命じまして、年賀状を届けさせようとする…
ところが… のらくろのもとには、ただの一通も、年賀状が届きませんでした。

「ううん/そうかぁ/ぼくには一枚も/こないかぁ」
「七年前に捨てられて/それから自分はひとりで/強く生きてはきたが/」
「どんなにりっぱに出世しても/よろこんでくれる親や兄弟が/ぼくにはないんだ」
「さびしいものだなあ」

このあたりの、チャップリンの初期映画にも似た哀愁が、読む者の胸を打った。
『のらくろ』が、単なる軍国漫画ではない… ということが、身に染みるエピソードだとは思いませんか?

実は今読んでもじゅうぶんに面白い、名作『のらくろ』… その名前を冠した「のらくろマンガ賞」。
果たして「第二の『のらくろ』」が、生まれますかどうか?

9月28日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!三菱電機プレゼンツ・ひでたけのやじうま好奇心」より

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