あけの語りびと

“あしたのジョー”のふるさと「泪橋」に建つ映画喫茶とは?

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それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

『映画喫茶 泪橋ホール』外観

東京都台東区日本堤。昭和41年まで「山谷」と呼ばれたこの一帯の真ん中には、300mも続くドーム型天井付きのアーケイド、「いろは会ショップメイト」があります。「ホルモン焼き」「メンズウェアの店」、「飲み屋」に「めし屋」…。ぎっしりと立ち並ぶ店のほとんどは、シャッターを下ろしたまま。時折ひびくのは、仕事にあぶれた高齢者が路上で酒を酌み交わす声ばかり。日本の高度経済成長期を下から支えたエネルギーの終焉の風景のようです。

このアーケイド近くの交差点「泪橋」も、いまは信号機にブラ下がるプレートにその名を残すのみ…。「泪橋」と言えば、あの「あしたのジョー」のふるさととして、全国に名をはせたところです。

『映画喫茶 泪橋ホール』店主の多田裕美子さん(写真左)

多田裕美子さんが、この交差点近くの日本堤2丁目に『映画喫茶 泪橋ホール』をオープンしたのは、今年(2019年)の2月9日のことでした。

「私の両親が『丸善食堂』という食堂をやっていた隣の土地が、ある会社の倉庫になろうとしていたんです。『じゃあ私に貸してよ』ということで、この映画喫茶を開くことができました」

こう語ってくださった裕美子さんは、1965年浅草生まれ。東洋大学文学部を卒業後、六本木スタジオ勤務、写真家の助手を経て、1995年からフリーカメラマンとして活動していました。

筑摩書房『山谷 ヤマの男』著:多田裕美子(※画像はAmazonより)

両親が山谷で食堂を営んでいたことで生まれたつながりから、そこに住む人々をカメラにおさめたポートレートをまとめ、2016年「筑摩書房」から『山谷 ヤマの男』というフォト&エッセイ集を出しました。それだけ山谷にひかれるわけについて、裕美子さんはこう語ります。

「両親の食堂があったから、というだけじゃないんです。山谷の人たちには、他人のなかに自分の人生を見る力があるんです。だから決して人を見下したりしない。みんな個性が強く、自分を殺して社会に適合することができない原石のような人たちなんです」

この優しいまなざしが、『泪橋ホール』の源流なのでしょう。

古い映画ポスターが並ぶ店内

『映画喫茶 泪橋ホール』は毎日正午開店、定休日は木曜日です。オープンに当たってはクラウドファンディングを利用したと言います。たった5日間で101人の支援を受け、目標額の66%に達することができました。ガラス越しに店内が見える入りやすい店。両側の壁は、古い映画のポスターがズラリと並んでいますが、喫茶はもちろん食事、お酒もOKです!

「浅草開化楼」の皮を使ったギョーザは300円。これに日替わり総菜とご飯、味噌汁、おしんこを付けたギョーザ定食は、600円になります。日替わりの総菜は、竹の子入り切り干し大根煮、ほうれん草の胡麻和え、ふき煮、筑前煮、ブリの照り焼き、アジの南蛮漬けなど300円から。手作りのバナナケーキ、300円も評判です。日本酒、焼酎は400円と、ふところが寒いときにもやさしいお値段です。

映画上映のようす

さて、映画の入場料は800円。年金や福祉の受給者は500円。車いすの付き添いの人は300円と、料金も控えめです。上映時間は毎日3時から。開演時間が近づくと、厨房の窓口の上に掲げているメニューのホワイトボードの留め金を、裕美子さんがはずします。

すると、アラ不思議! いままで見えていた厨房はボードにフタをされて、光も音もシャットされます。あとは、表の看板を「上映中」に裏返して出入り口を暗幕で閉じると、店内はこじんまりとしたホールに早変わり! 裕美子さんが「思ったより大きいでしょ」と自慢げに巻き上げ式のスクリーンを下げます。お客たちはイスをガタガタさせて、スクリーンに向かいます。

「山谷のおじさんたちが、健さんや文太さんの映画を喜ぶのは分かります。けれど、そういう映画はフィルム代が高くて、普段はとても上映できません。著作権の切れた古い映画を沢山持っている会社が手を差し伸べてくれて、何とか続けています。いろんなイベントも開きます」と笑う裕美子さん。

ちなみに、今月6月の上映作品からタイトルを拾ってみますと、「荒野の決闘」「お茶漬の味」「祇園囃子」「自転車泥棒」「ローマの休日」 「晩春」「市民ケーン」と、洋邦を問わずなかなかの名作ぞろい!

映画監督を迎えてトークショーをすることも

裕美子さんは言います。「山谷のおじさんたちのなかにはね、意外と映画に詳しい人が多いんですよ。毎日来てくれる人もいます。病気で腹水がたまって、お腹がパンパンに張った人も来てくれます。表のポスターだけをジッと見つめて帰る人もいます。みんな大切なお客様。そんなときには、街に新しい風が吹きます」

自分が若い力にあふれ、キラキラ輝いていた時代に連れて行ってくれる映画。それは山谷の人たちにとって、どんな娯楽よりも癒される世界なのかも知れません。生に始まり死に終わる『人生』の匂いが染みついた街。山谷には、映画が似合います。

上柳昌彦 あさぼらけ
FM93AM1242ニッポン放送 月曜 5:00-6:00 火-金 4:30-6:00

朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ

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