経験を無駄にしたくないという一心で資金を調達しました-中西麻耶

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ニッポンチャレンジドアスリート・中西麻耶インタビュー(4)】

-アメリカで才能を伸ばしていった中西だったが、1つ深刻な問題に直面していた。それは資金だ。アメリカでは働くこともできず、事故の際に受け取った保険金や貯金を切り崩してきたが、それも、もはや限界だった。

中西 どうしようと思った時に、アル・ジョイナーさんに「もうお前はプロなんだから、スポンサーを取る努力をしろ」と言われました。
世界で活躍する選手なんだから世界中の企業が注目しているんだから、日本だけじゃなくてもいいから営業しろみたいなふうに言われたんですよね。
それで、ロンドン(パラリンピック)の前には、本当に自分に何にも無くなっちゃっていたので、アル・ジョイナーさんとの出会いやアメリカに行ったという経験を無駄にしたくないという一心で、試行錯誤の上で、セミヌードカレンダーを販売して、売上金で何とか、ロンドンまでの資金を調達しました。

-このセミヌードカレンダーは、世間でも大きな話題となり、なんと9000部を販売。資金繰りは何とか一息ついたが、思わぬ批判も浴びた。

中西 やっぱりつらかったのは、両親に対していろいろ言ってくる方もいらしたので、なんか申し訳ない気持ちになりながらではあったんですけど。
アメリカの選手たちは障がいっていうものを個性としてとらえていて、とらえているんだけれども、それを見せるというのはかなり勇気がいることだろうということは理解してくれていた。
海外の人はすっごい勇気のあることをしてくれた、と。

-あまりに違いすぎる日米の反応の差。資金面だけではなく、メンタル面でも中西は限界に近づいていた。

中西 自分は本当に、ロンドンに出れるのかという不安も手伝って、当時は走り幅とびのピットに立った時に、足が鉛みたいになっちゃって動かなくなったんですよね。
もう部屋に帰っても常に、誰かに見られているような気分になったりとか、あの時は幻聴もあったので、さすがにその時は、アル・ジョイナーさんも力を借りなさいって、言ってくれて。
やっぱり、選手カウンセリングのトレーニングもしなきゃダメだと思いました。

-カウンセリングを受け、心が落ち着きを取り戻した時、中西の下に朗報が届いた。ロンドンパラリンピック代表に選出。中西にとって、2度目の大舞台となったロンドンパラリンピックだったが、結果は100m、200mとも予選敗退。走り幅跳びは決勝に残ったが、8位に終わった。精神的にはどん底の中で残したこの成績。本人は、どう評価しているのだろうか。

中西 やっと肩の荷がおりたという気分でしかなかったんですけど、ただ結果としては8位という記録的にも4m80ぐらいで自己ベストに及ばずというところだったので。
公式戦で5mっていう記録を出さないまま終わっちゃった。
もう競技を終わった後にも、アル・ジョイナーさんのところに走っていって、ごめんなさいってハグしながら言った時に、「僕が今までいろんな選手を見てきたけど、麻耶がいちばん自分の求めている跳躍、自分の作り上げたかった跳躍をしてくれた。僕の立派な、凄い誇りの選手だ」と言ってくれて。
もう泣きながら、でも本当に申し訳ないっていう気持ちばかりでした。

ロンドンパラリンピックを区切りに、中西は一旦競技を引退した。
(その5へ続く)

(3月22日~4月1日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。